第24話 日本のはやぶさ成功の今後の教育に現われる影響について

1月 1st, 2012

 平成22年6月、世界中注目の中、7年もかかって帰って来た日本の小惑星探査機「はやぶさ」は、その誕生までの過程を調べると、日本の教育6、3、3制の理性中心のガリ勉秀才では絶対に作れなかった成品だった。
 制作のすべては、感性を初動として、経過の一つ一つがそのヒラメキを基本として作られているものだった。
 分かりやすく言えば、今まで習った教科書には一つも記載されていない世界なので、自ずから必要に応じて自分流の教科書を作りながら完成させて行ったものだ。
 成果は、世界一ではなく、人類初の快挙を目指したものなのだ。
 従って、日本人以上に外国人達の驚きと感動が大きかった。
 制作研究のバックボーンは、使用する多大な税金に対して、国民への責任感と感謝心と使命感だった。そして、日本人としての誇りと成功に向けての闘争心だった。
 それが、はやぶさ制作の研究過程で成功の為の努力の中で、感性から生み出されたのが、加点法なのだ。
 日本で長年の間、用いて来た減点法教育ではこんな感性からの発想は生まれず、人類初の快挙なんか実現出来るはずはなかったのだ。
 そんな中で、あきらめない心が、命をかけた信念にまで高められていった。
 仲間との信頼と団結心は、能力のすべてを発揮させるために、説得ではなく納得の原理をあみ出しての成果だった。
 私の感性では、今の学校制度は戦後61年以上も使いよごしたもので、今現在の理性過剰な教育内容では、未来を背負う子供達の心をどんどん無機質化させ、真・善・美が土足の理性で踏みにじられ、やがては人間社会の崩壊につながると感じています。

 21世紀は感性の時代だと意味も分からず叫んでいる人々も居られますが、実は一人一人の痛みを伴った制度改革につながるものなのです。
 私の感性は、この事を日本中にうったえるべしと痛感し、この「応答せよ!はやぶさ」の題名で11ヶ月の歳月をかけて紙芝居を完成させました。
 この事に共鳴される方は是非「応答せよ!はやぶさ」発表の初公開に参加して下さい。
 そして、閉ざされている貴方の感性の扉を自ずからの意志で開けて下さい。
 21世紀に向って己の命に恥じない人生を自ずから創造されんことを祈るや切です。

第23話 プロ街頭紙芝居師として年末を迎える

11月 30th, 2011

 私は近年、1年の終わりは11月までと感じる様になり、意識が変化して来て、12月は1年間の「おまけ月」だと考えています。
 すると不思議なことに、毎年12月を迎えるのが楽しさを含んだ何となくゆったりとした気分が生まれて来ています。
 さて、30年間、降雨以外は毎日、街頭広場で紙芝居を実演して来ましたが、今年の寒暖の変化の大きさには驚かされました。1日の間に10℃以上の温度変化が生まれますと、体調維持が大変で、肉体感性が弱って来ます。
 街頭紙芝居歴30年を振り返れば、毎年600回以上、多忙な年には1000回以上も街頭で実演して来ました。今では、親子二世代目、三世代目の子供達とのコミュニケーションが生まれていて、実に楽しい雰囲気が、かもし出されて来ています。
 長年続けて来た私への勲章でしょう。
 時には、世界で唯一人のプロ街頭紙芝居師だと過分の評価を下さる方も居られますが、わがままにも、世間の反対を押し切って、生活をかけた職業として自ら選び決断し、突き進んで来た道なのですから、どんなに苦しいことが起きても、いつの間にか乗り越えて来ているのです。
 その根源は、一瞬なりとも忘れることのない、生活を懸けて取り組むひたむきな一所懸命さが土台となっていたからでしょう。
 感性論哲学の創始者吉村思風先生は、「人間らしい本物の人間になる為の働き方」について述べられています。

 先ずプロとしての職業を持て!
 プロとは何か、それは生活をかけ、命をかけ、人生をかけて働くことだと。
 21世紀という時代は、生活を懸けて一所懸命働くことで、必ず生じる修羅場の現実。それに揉まれながら人間性が磨かれ、本物の人間になる道が開かれて来ると。
 そして、21世紀は、人間性の陶冶(トウヤ)と金儲けを一石二鳥で同時にやってしまう凄い時代だと述べられています。

 かえりみれば、昭和30年代5万人も居られたプロ街頭紙芝居師さんの皆様は、その後の高度成長期に、金儲けの良い仕事が増えて来てるので、次々に廃業・転職されて行かれた。
 楽しみにしていた多くの子供達のかなしみの山を築いて行かれたのです。
 私が紙芝居をやり出した昭和48年には、全国でプロ街頭紙芝居師はわずか30人位に激減していました。
 いかに少人数でも、続けて居られる人がいると言う事は、生活が出来ると言う事です。世間の色々な雑音に逆らい、自分で決断し、妻子を養い生活が出来ると信じ、プロ街頭紙芝居に突進して行きました。
 どんな仕事でも生活を懸けた仕事には、チャランポランなものはありません。必死な思いで、潜在意識に訴え続けました。ジタバタとあがき、もがき、四苦八苦の修羅場の体験の中から天分への確信が生まれて来たのです。
 それがやがて、紙芝居200年への歴史観と、人生を懸けたプロ街頭紙芝居師の役割りと、社会性が顕現して使命感が湧き上がって来たのです。と同時にプロ街頭紙芝居道を極めよ!と強烈な欲求が感性から突き上げて来たのです。

 この境地から今、一般世間で行われている紙芝居を観てみますと、1ヶ月に1~2回、1年に3~4回位しかやらない人々が多く、そこにはどんな価値と意味があるのか疑問です。
 唯、漠然と、気まぐれに、下手で無責任な絵を持って紙芝居だと宣伝しているだけのものが多い様です。
 現在の紙芝居の流れを仕分けして思いますと、
 イ)趣味と自己満足でやっている人
 ロ)売名目的でやっている人
 ハ)己の商売PRで目的でやっている人
 ニ)小金稼ぎの手段としてやっている人
 其の他色々とありますが、いずれにしても生活を懸けた一所懸命さがなく、一を持って之(これ)をつらぬく根性も責任感もなんものばかりですから、人間性が磨かれるはずもないから、少し困難が発生すると挫折し、長続きはしないのです。
 やりたい事をやれるのが人間の幸の原点ですが、チャランポラン意識での取り組みでは、直ぐに子供達が見破り、再参加はしなくなり、消えて行く運命が生まれるだけです。

 今や世界的な景気の低迷と混乱期に突入して来ました。
 日本でも昨今不況感が街中に拡大し、子供達のお小遣いまでも減りつつあります。プロ街頭紙芝居師さんの収入の主流は、50円、100円の水アメが中心のお菓子販売です。しかし、街頭紙芝居師さん達の一所懸命さと命がけの努力は、必ず潜在能力を開花させ、子供達を呼び込んでくれるはずです。
 21世紀が進展して行きますと、人間同士の交わり方としてコミュニケーション要求が倍増して来るでしょう。
 その様な時代が来ると、相手の意見を押さえ込み論破する説得の論理が嫌われ、その反動として、相手の意見も取り入れ修正しながら、共に交わって行く納得の論理が主流となって来るはずです。
 説得の論理は、人間同士のコミュニケーション力にはなりません。

 プロ街頭紙芝居師は、趣味や遊びで行うものでなく、毎日、毎日の街頭実演は生活の確立を模索しながら実は人間同士間のコミュニケーション進化と活性化を求めあっているエネルギーです。だからこそ、街頭紙芝居には、職業として生活をかけ、命をかけ、人格を磨く意識の強靱さが求められる訳です。

 どうしようもない困難が発生したら、「プロ街頭紙芝居は、毎日が真剣勝負だ!!」と絶叫して下さい。
 そして、これからも生じてくる修羅場の環境の中で、俺はこのプロ街頭紙芝居の仕事を復活し、進化させる為に生まれて来たのだ、俺はこのプロ街頭紙芝居の為なら死んでも良いと強く思いましょう。
 すると、社会意識、宇宙意識が湧き出て来ると同時に、問題解決の知恵が潜在能力から湧き上がって来ます。
 その時「ありがとう。ありがとう。」と100回唱えましょう。
 感謝心が湧き上がり、使命感につながり、やがてプロ街頭紙芝居道の確立へつながると確信して居ります。

 プロ街頭紙芝居師を志す皆さん!。かつて戦国武将山中鹿之助は、主家再興の為、月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ。」と祈りました。
 いかなる艱難辛苦も我が夢実現の御馳走と考え、慌てず騒がず年末を坦々として走破して下さい。

第22話 中学女教師の教育魂

8月 8th, 2011

平成11年の4月1人の中学女教師が我が家に訪ねて来られた。
我が地元、大阪市北区の中学3年生の保育授業に紙芝居を制作し、幼稚園で実演させ、中学3年卒業の想い出をつくってやりたいとの説明と協力依頼である。

当時、地元中心に毎日、2~3ヶ所、街頭紙芝居20年のキャリア(今、現在では継続30年目だ)で、大半の生徒達は、幼児の時から出会っているので、よろこんで引き受けた。

その後、しばらく、連絡もないまま梅雨の終わった7月中頃、やっと先生が来宅され、紙芝居の台紙について尋ねて来られた。
ボード紙の使用を進言した。

小柄で可愛いメガネをかけたこの先生は、以前、家内が白血病で入院していた時に、他の病気で入院されていて、地元の中学校に勤務されていた関係もあり、知り合いとなったのである。

8月に入って、又来宅され、生徒達の取り組みを時間がある限り観に来て欲しいとの要望なのである。
行って見て驚いた。

7~8人を1つのグループとして、4つのグループを作り、各グループごとに自主的にディスカッションをし、その発案の中で、各グループごとの全員でそれぞれのストーリーを決め、絵を制作し、年末までに完成させて行くことになっていた。
そして、年明けの2月頃には、地元幼稚園3園で、各4組の紙芝居絵が各グループごと独自のやり方で、園児達に観てもらうことになっていた。

教育は、ヒラメキ、すなわち感性力だと感じていた私は、この女教師のヒラメキと直ぐに実行に移し、継続させて行く姿に、何か「捨て身」の悲壮感さえ覚えた。
しかし、御本人は実に淡々として居られた。
先生!良くぞここまでまとめられましたねぇ
と声をかけると、
いや、大変だったんです。
と、実にあっさりと一言のみ

何が大変だったのですか?
と尋ねると、
各組が何をどうしらら良いのか、紙芝居の制作は分かるのだが、その入り口が何もヒラメイて来ない。
従って、グループ全体が行動が起こせないので時間だけが過ぎていく。
先生はその間、問われない限りはアドバイスはしない。
各グループが命がけで考えると、必ず知恵が生まれと信じていたのだと。

スタートから2~3ヶ月も過ぎて、1つのグループの中から、声高の女生徒の発言者が生まれ、「今ヒラメイタことから直ぐ実行するんだ」との大声が、そのグループを元気づかせ、そのエネルギーが他のグループへと伝わって行ったそうだ。
その間、先生は黙って生徒達の変化を待ち続けたとのことだ。

それにしても、その忍耐力と気力に感服した。
教育とは、今、己のやりたいものを感じ、発見し、それを徹底的にやらせることが基本だと信じている私は、先生との共感がふくれ上がった。
教科書通り、機械的に授業を続けるだけでは、生徒は夢も持てず、能力も開花しない。
生徒本人の予想もしない能力と行動を引き出させるのが本来の教育なのではないか。
決められた通りに授業を進めるだけならば、ロボット教師を制作し、先生の代役をさせれば良いのだ。

先生のヒラメキ、すなわち感性を武器に、知恵を使わせ、子供達に未知への挑戦のたのしさに気付かせる。こんな授業方式が大切ではないか。

8ヶ月に渡る紙芝居制作に苦しんだ生徒達に、いよいよ卒業の3月、目標の幼稚園実演の本番がやってきた。
前日、校庭で夜8時まで実演の練習をしたグループもあり、不安と期待を胸に、3つの幼稚園を4つのグループがそれぞれの思いを秘して、実演して廻った。

園児達と一体になった各グループの中学生達に、園児達からお変えしのお踊りや太鼓が披露され、大感激のフィナーレとなった。
次なる写真と、生徒、先生の感想文がその証なのである。

教育関係者の皆さん。是非感想を聞かせて下されば幸甚です。

FAX 06-6353-2957

第21話 プロ紙芝居師誕生

7月 21st, 2011

6月19日、26日の両日曜日、大阪市北区豊仁憩の家2階で第40回、プロ街頭紙芝居師養成講座を開催しました。
プロ街頭紙芝居師養成講座を実行できるのは、日本で我がNPO法人紙芝居文化協会だけです。
プロ街頭紙芝居とは、生活をかけた職業です。一種の行商業ですが、昭和13年頃には、全国で3万人、戦後の昭和30年代には5万人もの黄金時代を築き、一世を風靡していました。
街頭紙芝居は世界で日本国だけに発生したもので、世界の文化として、実に貴重なものですが、今現在日本で唯一人残って活動して居るだけです。
敗戦後日本の貧しい時代、娯楽の少なかった子供達の感性を鷲掴みにした街頭紙芝居は、段突で、今、50代、60代、70代、80代の大人達の潜在意識に温かい思い出として、光を灯し続けています。

その原因の一つは絵です。
絵は昨今使用されている印刷ではなく、手描きのもので、プロの画法が秘められています。
又、毎日街頭広場で異なった絵の紙芝居を見せてくれるので、子供達は楽しくて、待ち遠しかったのです。
昨今花盛りの貧しい印刷紙芝居、又は素人の絵を少量持ち、室内での上演が当たり前と思って何の疑問もなく絵を引き抜いて見せているボタンティアと名乗る人々は、子供達より御本人が一人よろこんでいるだけなのです。

1ヶ月に1~2回や、年間5~6回実演するだけでは紙芝居の心は生まれません。
プロとは、年間600回以上やるもので、相手がよろこぶ姿を見て、その後で自分がよろこばせて頂くのが基本です。

プロ街頭紙芝居師を志す人は、大変な勇気と感性力が必要です。
今回のセミナーで千葉県の57才の男性と24才の奈良県の男性がプロとして巣立ちました。
街頭紙芝居の仕事をしながら生活をし、人格を磨き上げて行く為、仕事としては最高の職業です。
私はこの2人の勇気ある決断に拍手を送ります。

降雨以外、毎日上演し続けるプロ街頭紙芝居師は、必ず子供達との信頼感を生み、それがやがて地域社会とのコミュニケーションへと進化して行くのです。
教師経験者で紙芝居をされて居られる方に提案させて頂きます。
紙芝居イベントなんて、年に数回あれば良い方ですよ。!
ボランティアと云う名の「あそび紙芝居」では、人格は向上しません。
街頭紙芝居道を体感できるのは、生活をかけて、毎日紙芝居を「行(ギョウ)」ずるしかないのです。
21世紀は、資本主義経済は終わり、人格主義経済に転じて行くと、感性論哲学者、芳村恩風師が宣言されていますが、生活の為の職業を通じて、人格を磨く時代に転換して来ると云うことなのです。
プロ街頭紙芝居師こそ、その先兵だと確信して、毎日の私は進化中です。
プロ街頭紙芝居の凄さと、楽しさに挑戦されてはいかがでしょうか。
ご意見のある方は、 06-6353-2957までFAXしてください。

第20話 街頭紙芝居の歴史を感性倫哲学解き、明日につなぐ

5月 20th, 2011

お茶屋あそびと言う社交場。
1801年頃、江戸は隅田川の辺りに、若旦那衆の夜のあそび場が活気づいていた。
それがお茶屋あそびと言う文化であった。

唄や踊りや太鼓、三味線、俳句の会等、お茶屋も活気ついていた。
それは、実に広くて深い巨大な感性の海だった。
感性には、感受性とは異なった求感性があり、その中に働いている平衡作用のエネルギーが、感性の三作用である、調和、合利、統一の各作用を使って、我が日本国だけに何かを創造しようと模索させていた。

そんな中で、若旦那衆は長年のお茶屋あそびで、いつも親身なお世話やサービスを頂いてばかりいた女性達におかえししたいとの思いが強い求感性となり、それが理性を使って、知的感性を出現させた。
知的感性とは、人間だけが持つ「心」のことである。その人間らしい心を無限に命がけで成長させて行くと、一人の人間が持つ60兆個の各細胞の中に存在する3万個の遺伝子の束の中から「知恵」が沸き上がって来る。

その知恵が「指の影絵」を気付かせた。
その気付きを進化させたのが「うつし絵」(風呂フロ)だ。うつし絵とは、小さなガラス板に毛筆で錦絵を画いた種板にローソクの光を通して絵を映す機械だ。幻燈の様に錦絵に光を通して、障子や襖や幕に投影、それを見て喜びあそぶものだ。

室内だけでなく、もっと多くの場所で映したいとの強い意欲が、隅田川に浮かんでいる屋形船へと進出し、一所懸命に取り組んだ。
こんな時から生活を懸けた職業へと進化して行く。

やがて活動拠点は、神社仏閣の縁日に境内に小屋を建てて上演し出した。
この活動は明治の中期まで続いて行った。
しかし、実演者がどんどん増えて来るが、活動場所の縁日は固定されたままで増えない。実演者達は失業だ、生活が出来ない。
そこで、70人位の失業者である実演者達は、必死に考え抜き続けた。
又も、知的感性の中から知恵が湧き出た。
それは、神社仏閣を離れ、街角、路地裏に一人で自由に上演できる、紙人形芝居を生み出した。
上演場所は無数に開拓されて行く。
上演料の代わりに、アメを買ってもらい、生計が支えられるので、たのしくて仕方がない。

しかし、大正時代の後半になると、世界大不況が発生し、その上関東大震災に見舞われ、急激な不況が生まれると、紙人形芝居業者が急増し、路地裏にまで進出した。すると各路地裏で、細々と駄菓子屋をしていた人々は怒って、警察に訴えたので、紙人形芝居業者は廃業へと追い込まれて行った。

「何かを見せて、生活をして行く」この感じ方をベースに、紙人形芝居業者は遺伝子の中から又も知恵を湧出させ、紙に絵を画いて見せる紙芝居に転換して行く。それが、平絵(ヘラエ)と呼ばれる、今現在の街頭紙芝居絵なのだ。
正に昭和5年、その平絵の街頭紙芝居発生を力つけたのは、「黄金バット」キャラクターの出現である。
このキャラクターを用いた平絵紙芝居の物語り絵は、瞬時に子ども達の心をとらえて行った。
人気沸騰し、水アメを売りながらの職業として、東京を中心に全国3万人に急増した。

しかし、昭和13年の支那事変から大東亜戦争への進むにつれ、街頭紙芝居業者も戦地に行かされ、大東亜戦争敗戦の昭和20年8月15日には、1人も紙芝居業者が居なくなっていた。
しかし、敗戦と共に戦地からの帰還兵の中の元紙芝居業者は、飛びついた。しかし、生活のためのアメ売り行商意識が主流で、文化としての価値認識がなかった。
従って、戦後日本の復興が進行し、はなやかに東京オリンピックが開催されるや、紙芝居を廃業し、給料の高い工場勤務に転換して行った。

街頭紙芝居業は衰退の道に突入した。
しかし、今現在、私一人がプロ街頭紙芝居師として生き残って、生活を懸け、命をかけて、時代を試しながら復活に挑戦している。
継続30年、親子2世代、3世代に渡り子ども達に受け継がれ、観に来て、私の街頭紙芝居と生活を支えてくれている。

その原因は、うつし絵の時代の幕末から、紙人形芝居の大正末までの感動的な紙芝居歴史の進化に我が感性が心から感動し、昭和5年からの平絵紙芝居への劇的転換の先人の勇気と心意気に我が命はふるわされたからだ。

絵を「見る、見せる」という実に単純な動作の中に、人間同士のふれあいと大きなコミニュケーションが生まれるのを、深く、重たく、目標高く感じさせられたのは、単なる水アメ売りの行商意識とは異質の「心」、すなわち、生きるたのしさと、生きる勇気を生む日本伝統の文化だと我が感性が心から実感したからだ。
我が求感性は、強力に理性を働かし、知的感性を生み、世界中で日本独自の後世に伝えるべき価値ある文化意識の心を私に感じさせてくれた。

しかし、今現在日本社会は街頭紙芝居を理性的判断でしか理解が及ばず、マイナスに位置づけられてしまった。
今、日本はすべてに与えられ過ぎた。

飽食と大量生産の無駄を人間の「しあわせ」と勘違いし出した。物を大切にし、恩を感じ、感謝する人間の知的感性を失ってしまった結果である。
高学歴社会を盲信していて、理性と感性のバランス感覚を死滅させているのに気付かないのだ。

感性とは、38億年前、生命の発生のアメーバの時代から、人類が先天的に与えられているものであり、理性とは後天的に自分が生まれてから言葉を覚え、言葉と言葉をつなぎ合わせて出来る観念なのだ。人間はより良く生きる為には、感性を主役として理性を脇役的に使いこなして行くことが大切だ。
理性は、用い方の時間空間次第で善にも悪にも変身する、実に不完全な能力で、一度認識すると固定してしまい変化を認めない。
一種のロボット能力で、結果は嘘、間違いになってもそのことが分からず、そのまま突進するだけだ。

今、学校教育は、理性を盲信し理性過剰の欠点に目を向ける能力も失い、ブロイラー飼育の様に、無理矢理に心の欲しないものを教え過ぎだ。
すべての子供達は心から湧き出て来る自分の欲望や夢に向かって学びたがっている。

夢とは子供達が成長する為の命から湧いて来る欲求だ。
その欲求の実現教育こそ、子供達の命のよろこびであり、その成長が天から各人に与えられた、天分の発見へとつながり、自他共に思いやりの心を持ち、感謝出来る人生を創造することが出来るのだ。
自ら感じたことを中心に、理性を用いて学ばせる学校システム、6、3、3、制度の大改革を叫ぶ教師こそ、時代の要求なのだが、誰一人手を上げる人が居ない。

今、感性論教育として、教えが育を超えてはならないと力説されているが、文部行政にたずさわる人々は真剣に感性学を学ぶべきだ。
そして、教と育との中心点「零」の位置に反応出来る感性力、すなわち調和作用を理解し、シンメトリーの法則を活用し、教と育の間を二辺往来しながら時代と共にたえず中心点を感じる感性論的バランス教育を創造すべきだ。
そして60数年に渡る戦後教育の中で、街頭紙芝居衰退の一つの原因は、唯物思想を信じる偏向教師達の挙動であった。
何でも平等、権利の主張、己の義務を考えなく、国家意識も持たない日教祖的教育思想と、それに近似の共産思想かぶれの偏向作家、教師達と出版社が手を組んで制作し、室内で教室授業の延長感覚で活用した粗末な絵の教育紙芝居の拡大だ。
学校教育の補いとして、日本中の幼稚園や学校、図書館、市町村図書館等に税金で購入させ、拡大して行った。

その反動として、街頭紙芝居が非難の対象とされる。食品が不潔だ。絵の色が強烈過ぎる、ストーリーが邪悪だとか、そして子供達のあそびが「悪」であるとの風潮だ。
これに同調的なPTA、地方図書館職員達の無責任なボランティア感覚での教育紙芝居上演が、街頭紙芝居を圧迫して行った。
非難の本質は、教育という立場から見ると、街頭紙芝居は街頭で子供達のお金を取り上げている卑しい仕事だとの認識があった。
それが世間の蔑視を増長して行く。
その勘違いに反論する人はあまり居なかった。

大元の責任者「絵元」(えもと)さん自身が世間の目を恐れていたのだ。日本独自の文化としての哲学を持って居なかった。実に街頭紙芝居の心を大元の責任者「絵元」さん自身が分からなかったのだ。
街頭紙芝居師の売り上げのピンハネ?で金もうけが目的だったのだから…。
街頭紙芝居師は自分よりも弱い立場の子供達からお金を頂き、生活をしなくてはなりませんから、子供が納得し、よろこんでくれる為の心づかいが大切です。

「大人の知識を捨て、子供の思いに合わせてやる、そして子供達がよろこんでくれる姿を実感し、その後から初めて自分がよろこぶ」、この心づかいが大切だ。
この心こそ21世紀の世界中に広げねばならない街頭紙芝居道の心であり、日本国独自の感性論教育の要諦だ。

街頭紙芝居師は、毎日定刻に2~3ヶ所「子供だまり」を創造する為に路地裏や、街頭を拍子木を打ちながら20分位は案内に廻ります。
すると紙芝居舞台の置かれた子供だまり広場にそれぞれの子供達、親達も集まってくる。
初めは誰も居ない子供だまり広場の空き地がだんだんと人数が増えて来、それぞれにコミュニケーションがふくらんで行く。
自分の意志で友達との会話、友達の弟妹、お兄ちゃん、お姉ちゃん達と対話、スキンシップ等々。思い切り自己の思いを展開し、表現出来る広場は感性エネルギーの渦巻きとなって行く。
一人っ子の多い昨今、子供が社会性を体験できる最高の広場であり道場となるのだ。

子供達は学校を含め、家庭までも冷たい理性過剰の環境に置かれているから、暖かい命の環境を求めて、子供だまりに集まり、街頭紙芝居に命を温められてよろこぶのが、子供達の命のバランス感覚だ。
子供達の健康でたくましい成長は、感性と理性のバランスの良い感覚によるものだ、と教師と親たちは感じるべきだ。
しっかりと人の心、自然の心を感じ、受け止めれる体験学習は脳が完備する10才頃までが特に大切だ。
従って子供達の命の根源にかかわる街頭紙芝居の心は単なる趣味や無責任なボランティア意識、金儲け意識だけで取り組むものではない。

純真な子供達の魂と向き合う為には、生活をかけ命をかけて取り組むべき楽しい職業だ。
昨今の大人達は、そこそこの貯えも持ったので、第二の人生意識を持ち出したがっている。趣味的で気ままな態度だ。
これは、大人の甘えと無責任の裏返しで己の天分への反逆性に気付いていない。
こんな大人は子供の魂を悪化させるだけだ。
我が街頭紙芝居道から感じ、観ると人生は善悪共に内蔵し、生きる一本の竹の様に死ぬまで節をつくりながら成長し続ける一つの感性人生と自覚すべきだ。

未来の歴史を創る子供達の自由自在に成長する魂と接する街頭紙芝居師は、子供達との交流の中で己も成長させられる神聖な職業と認識すべきだ。
従って街頭紙芝居に関わる人の安易な取り組みは遠慮して頂きたい。プロ街頭紙芝居師を志すには、命をかけた決断が大切だ。
命をかけるとは、心の底から沸き上がって来る強い欲求に対して、一度決断したら、後からどんなに良い現象、悪い現象が生じてもブレない強い精神力だ。
その為にも感性が理性を使って、究極のシュミレーションが必要だ。
このように決断出来た人こそ、晴耕雨読の自然同化の生活感で、継続力が生まれて、街頭紙芝居道の扉が開かれ、進化発展して行くのだ。

第19話 東日本大震災に思う。

4月 16th, 2011

突然の東日本大震災。心からお見舞い申し上げます。
そして、青森、岩手、宮城、福島各県の全ての被災者の皆様、又紙芝居活動中に亡くなられた方々の御冥福を祈ります。
今、地球では、百年、千年、万年単位で起こる大変化が今年含め来年にかけて一挙に起きるのではないでしょうか。
「人知をつくす」と言いますが、今こそ主義主張など投げ捨てて国防同様に災害対策に命がけで向かって行く時です。
自衛隊の人々、警察官、地域の消防団、原発会社社員の皆様の活動には頭が下がります。
しかし、原発会社の役員や原発に関係されたキタナイ髭を付けた学者と名乗る人々の他人事の様な発言には怒りを覚えます。
今、この災害を傍観する人々は我が日本民族を含めて人類その裏切り者と自戒すべきです。さあ皆さん、心を合わせてたとえ一円也でも長く巾の広い募金活動に参加しましょう。今、苦難の中で必死で耐えて居られる人々に「ぬくもり」の毛布を着させてあげましょう。「始まりの一歩」を踏み出して下さい。
六月第三・第四日曜日の街頭紙芝居講座の会費はすべて復興基金に渡します。
私も七年ぶりに皆様方の命の支えになれる街頭紙芝居絵の製作構想に没頭中です。夏休み頃の七月には、災害地にに行き新作のプロ街頭紙芝居で被災地の人々を勇気付けたいと思っております。

第18話 中学校での「日本文化体験」授業

3月 4th, 2011

2月10日、大阪天王寺区の某中学校で、全学年の「日本文化体験」授業が行われました。
私は2年2組の教室で「「街頭紙芝居の歴史と演じ方について」の題で95分間受け持たせて頂きました。

実はこの地区の上汐公園では、30年間に渡り、街頭紙芝居を実演し続けているので、(実は、30年続いている広場は、我が大阪府下に6ヶ所の広場をつくっています)親子3代に渡る体験者も多く、当日その体験者の顔見知りの生徒も含まれているのです。

1月30日(日)毎年行っている、新春プロ街頭紙芝居師養成講座は、30代から80代までの大人が対象でしたが、中学生達の方が吸収が早いと言う感じを受けました。
この地域は、30年に渡る街頭紙芝居の波動が中学生達の細胞にインプットされていたからでしょうか?。
これからの若い人の職業も老人、幼児関係の仕事が多くなる時代の流れに、街頭紙芝居道を追求している本当の紙芝居絵とプロの演じ方を体験しておくと、本来の職場に活用された時、過去の体験を通じ、本当の紙芝居が復活する要素が大きいと感じさせられました。

街頭紙芝居師の実演は、街頭の自然環境に負けない紙芝居画法のある、高価値な絵を(手画き)使用しているのです。
印刷絵ではなく、力強い、心に訴える絵です。だから毎日街頭紙芝居をしていても、親子3代に渡り長年月観て頂いて来た訳です。

又、絵本の読み聞かせや、下手な落語や漫才師達のパフォーマンスは不用で、見る側の相手に合わせた絵の使用と語り方が大切で、無理な声色は不用です。
又、紙芝居の歴史は200年も昔に、世界で日本国だけに発生した文化で、インドにも中国にもありません。

「うつし絵」から「紙人形芝居」に変化し、現在の「平絵(ヒラエ)」に変化したのが、昭和5年です。
この時期に発生したのが、「黄金バット」のキャラクターなのです。
一種の出世魚の様な、縁起の良い、日本独自の文化だと話し出すと、実に真剣に身を乗り出して聞いてくれました。

実演の練習については、3人一組として机を並べ変えさせ、60年前の君達のおじいさん、おばあさんが子供時代に街頭広場で見ていた力強い文化財的マンガ絵10枚、一話もの一巻ずつを与え、3回以上輪読させ、練習の後、教室の前面に設置された、プロ用の紙芝居舞台を用いて、実演発表させました。練習して直ぐに実演するのだから真剣だ。はずかしさを抑えて、一生懸命さが伝わる。しかし、今の中学生も街頭での群れ遊びの体験不足で、基本的に大きな声を出す事が苦手の様で、語りにリズムが生まれないのだ。
塾、学校と教わる勉強だけの時間に追われているので、感性力が退化して来ている様だ。

そこで、夢を持っている生徒数を調べると、全体の30%だった。

少なすぎる!!

夢は群れの中の体験不足では生まれにくいものなのだ。

今、教育は狂っていると言うのが、街頭紙芝居道から湧き上がる感覚だ。
教育機関は、倒産会社の様なもので、問題意識が無さ過ぎる。
提案力がなく、従って改革意欲も生まれない。
いわゆるプロ意識が無いので、無責任なのだ。
時代と共に、世界が進化し、変化して来ているのに、教育だけが停滞している。
先ずシステムを転換させるべきだ。
その上で、この混乱の時代こそ、「恩」を体感させる教育の充実を計るべきではないか?

街頭紙芝居道から叫ばせて頂きました。

第17話 養成講座お礼と若者達への期待

2月 9th, 2011

新春のプロ街頭紙芝居講座を、1月30日、2月6日の各日曜日に開催し、予想外に楽しく終了してうれしかったです。
このコーナーの呼びかけもあり、関東方面からの参加者が5名あり、しかも、参加下さった80才の方が、「演じ方」を学んだだけで、直ぐに地元の老人ホームで実演する為、日本一部しかない「ジョン万次郎漂流記」の複製街頭紙芝居絵三巻を購入されて帰られました。
又、現役の教師3名、元教師58才はプロを目的に来場されました。
会社役員や本物の紙芝居を知りたいとの意欲的な男女の参加が増えて来て、ありがとうございました。
又、読売、朝日の二十歳代の記者の取材もあり、若い人々の感性記事に期待感一杯です。

今回来られなかった人、又、もっと深く学びたい、人の為にも次回のセミナー日を発表します。
同じ場所で、6月19日、6月26日(各日曜日)の2日間実施します。

街頭紙芝居には、不思議な現象があります。
「習ったら直ぐ実行」です。100%勉強した人は、ほとんど実行しません。
3割の学びで十分実行出来ます。感動、感性が消えない内に実行に移しますと、実にスムーズに楽しく事が進みます。
今、街頭紙芝居師の行動は、一大転換期を迎えている日本民族の進歩に大きく関わって行くと実感して居ります。

2月10日(木)大阪の某中学校2年2組で、街頭紙芝居の歴史と「演じ方」についての授業をしますが、私の大きな楽しみです。
幼稚園、小学校3~4年生まで私の街頭紙芝居で育った子供達との出会いです。

街頭紙芝居文化の伝承者として、若い世代がどんな夢をつくっていれるか、期待感一杯です

プロ街頭紙芝居師養成講座のおさそい

1月 5th, 2011

明けまして

おめでとうございます

昨年は、「ゲゲゲの女房」NHK番組放映中から他局も含めて、室内での「紙芝居」に文字をつけた放映が急増していました。
これも女性の厚化粧?の様に新年と共に消えて行く運命です。

紙芝居の源流は、暑さ、寒さを乗り越えて、毎日一所懸命演じて行く街頭紙芝居です。
今、日本中が望んでいるのは、私が名付けた「プロ街頭紙芝居師」という実生活をかけた職業街頭紙芝居師の誕生なのです。プロ街頭紙芝居師とは、ピエロでも、タレントでもありません。

子供に対する責任感と健康な常識と友情を持ったオッチャンの職業なのです。
戦前、戦後の日本には、8万人ものプロ街頭紙芝居師さんが居られましたが、今現在日本で残って生活をかけて活動しているのは、私一人になって居ります。毎日、街頭広場で2ヶ所、一週間12ヶ所、1ヶ月50ヶ所、年間600回以上を上演し続けるのがプロなのです。

それは、子供達が成長し、親となり、二代、三代に渡っても見に来てくれるこの文化は、子供達の心身の成長過程を支え、己も生かされて行く、尊い日本独自の文化なのです。

この真実の街頭紙芝居文化を再興し、職業として実践指導とお世話が出来るのは30年間に渡り継続研究して来た、私一人しか居りません。

貴方は、己の命を何の為に使うのか

己の天分を極めたい意欲のある人

1月30日、2月6日、街頭紙芝居のセミナーに参加しませんか。

「同行者」としてお迎えいたします。

関東方面の方も是非ご参加下さい。

日本のヘレンケラー

12月 25th, 2010

今回は少し趣向を換えて、私が行った講演を少しブログでご披露いたします。

紙芝居「中村久子の生涯」-勇気と夢を-

皆さんこんにちわ!
私は今、日本で唯一人のプロ街頭紙芝居師で、30年続けて現在に至って居ります。
降雨の日以外は毎日街頭で2~3ヶ所、拍子木で子供達を路地裏の家中から広場まで引き出し、お菓子を販売しながら街頭紙芝居を演じております。

自分が決断し、選んだ仕事に命を懸ける強い気持ちでワクワク感を持って継続していますと、次から次へと問題意識が沸き上がって来ます。
それは、自分の仕事に対して、又その環境に対してとか次々と色んな分野に対しての新鮮な疑問なのです。

私はあまり信心については、分かりませんが、物事を成就させるには、100%の努力ではダメで100%を超える努力をしないと新しい道が開かないと聞いて居ります。実はこの努力こそ問題意識が解決され天分発想へとつながって行くのです。
今や、文部科学省の指導には大学に行っても天分発想の指導はゼロでしょう。

「好きこそものの上手なれ」と古来日本でいわれている言葉ですが、好きになる為の指導が無いのです。
偏差値教育の強制では、問題意識は生まれません。
そして、勉強嫌いを増長させるばかりでしょう。天分とは、天が一人一人に授けたその人だけの能力で、やがて使命、天命へとつながって行くものです。

私の体験では、天分の道はどんなに働いても疲れを知らず、楽しい道です。次から次へと問題が解決されて行き、満足感の中に感謝の心さえ生まれるのです。
街頭紙芝居とは、実は「あそび」なのです。遊びと言いますと、大人の悪い遊びをイメージされますが、子供には大変な間違いです。子供は生まれながらに感受性一杯の自然児ですが、動植物と少し違うのは、天分の中に理性能力も持たされていることです。
この二つの能力は、助け合って生かされてこそ、正常な進歩があるのですが、昨今は理性能力万能で、感じる能力を置き去りです。
こんな育て方で成長した子供は、大人になり自分の欲望実現の為に、他者を踏みつけても平気です。

経済では、格差社会が拡がり、やがて破滅です。10才位までは、多くの遊び、特に広場、山野の野外での友達づくりの遊びが大切で、人と交わる為のルールを覚え、人間同士の微妙な関係を学び、生きるための知恵を身につけさせるのです。
幼少期、人間同士の交わりの極意を感じ取って成長した大人は、理性と感性のバランス感覚の秀でた人となるので、必ず良い社会づくりの一員になるはずです。そしてこの様な人材は、無意識の間に恩を感じる能力も発達していきます。

恩を感じる心根も、実は己の人生を楽しく力一杯の努力も楽々とし、続けられるのではないでしょうか。
相手も喜び、己も喜ぶと運も良くなり、素晴らしいですね。

中村久子さんは、脱疽(ダッソ)という病で、両手、両足を3才の時に切断され、成人して結婚し、2人の女子を授かりますが、国家の補助をすべて断り、自力で育て上げます。その間、夫の死別2回、生別1回、そして最後の4回目の夫に72才の厳寒の2月に死に水を取って戴かれ、人生を完遂されました。
困難辛苦の己の人生の中で、両手両足もないので自殺も出来ぬ我が身をのろい、苦しみ悩み、絶望の中から人に生かされ、天に生かされているとの悟りを得、世に発表したのが、「人生に絶望なし」の宣言でした。

今我々は、恩を感じる感性を失い過ぎです。損得に対する知識が過剰で目先が見え過ぎ、他者に対しての思いやりの感覚を失って居るのです。今、高校の教育費がタダの問題が浮上して居りますが、我々もこの事に不感症になり過ぎです。年間小学校で85万円、中学校で95万円、高校で110万円、大学で250万円、保育園で250万円が支払い授業料以外にこれだけの国税、地方税が今現在も一人の日本人養成の為に支払われている事を、親も学校も大多数が知らないのです。
国税、地方税だから貰って当たり前、貰う権利があるとまで思って、感謝を忘れている人があるんではないでしょうか?

だとすれば、こんな日本人には選挙権は剥奪すべきでしょう。
人間としての価値観、感謝を失っているのですから。それは人間同士、特に近隣社会内の家庭教育結果だと思うのです。

我々は隣近所位はしっかりと挨拶は実行すべきで、些細な感情のもつれと気まずさがあっても早く水に流す努力をすべきでしょう。
自分に子供が居るならば、我が子の学校教育の為にも隣のオッチャン、オバチャンが働いて税金を納めてくれるんだからとの感謝心に敏感になるべきでしょう。憎しみを早く消す努力です。

これこそ、人間の一番大切な学びではないでしょうか。

今や、日本国は恩を感じる心を失って来ています。
我々はイヤなこと、苦しいこと、昔の日本人は艱難辛苦を乗り越えて、今我々に日本を引きつないでくれています。
実はこんな苦しみの中にこそ、天分、天命の発見の糸口となるのです。

今こそ我々は己の自由自在になる境地を掴むべき時代がきているのです。

平成22年11月21日(日)講演。クイズ3枚 中村久子の生涯2巻 所用時間40分