第20話 街頭紙芝居の歴史を感性倫哲学解き、明日につなぐ

お茶屋あそびと言う社交場。
1801年頃、江戸は隅田川の辺りに、若旦那衆の夜のあそび場が活気づいていた。
それがお茶屋あそびと言う文化であった。

唄や踊りや太鼓、三味線、俳句の会等、お茶屋も活気ついていた。
それは、実に広くて深い巨大な感性の海だった。
感性には、感受性とは異なった求感性があり、その中に働いている平衡作用のエネルギーが、感性の三作用である、調和、合利、統一の各作用を使って、我が日本国だけに何かを創造しようと模索させていた。

そんな中で、若旦那衆は長年のお茶屋あそびで、いつも親身なお世話やサービスを頂いてばかりいた女性達におかえししたいとの思いが強い求感性となり、それが理性を使って、知的感性を出現させた。
知的感性とは、人間だけが持つ「心」のことである。その人間らしい心を無限に命がけで成長させて行くと、一人の人間が持つ60兆個の各細胞の中に存在する3万個の遺伝子の束の中から「知恵」が沸き上がって来る。

その知恵が「指の影絵」を気付かせた。
その気付きを進化させたのが「うつし絵」(風呂フロ)だ。うつし絵とは、小さなガラス板に毛筆で錦絵を画いた種板にローソクの光を通して絵を映す機械だ。幻燈の様に錦絵に光を通して、障子や襖や幕に投影、それを見て喜びあそぶものだ。

室内だけでなく、もっと多くの場所で映したいとの強い意欲が、隅田川に浮かんでいる屋形船へと進出し、一所懸命に取り組んだ。
こんな時から生活を懸けた職業へと進化して行く。

やがて活動拠点は、神社仏閣の縁日に境内に小屋を建てて上演し出した。
この活動は明治の中期まで続いて行った。
しかし、実演者がどんどん増えて来るが、活動場所の縁日は固定されたままで増えない。実演者達は失業だ、生活が出来ない。
そこで、70人位の失業者である実演者達は、必死に考え抜き続けた。
又も、知的感性の中から知恵が湧き出た。
それは、神社仏閣を離れ、街角、路地裏に一人で自由に上演できる、紙人形芝居を生み出した。
上演場所は無数に開拓されて行く。
上演料の代わりに、アメを買ってもらい、生計が支えられるので、たのしくて仕方がない。

しかし、大正時代の後半になると、世界大不況が発生し、その上関東大震災に見舞われ、急激な不況が生まれると、紙人形芝居業者が急増し、路地裏にまで進出した。すると各路地裏で、細々と駄菓子屋をしていた人々は怒って、警察に訴えたので、紙人形芝居業者は廃業へと追い込まれて行った。

「何かを見せて、生活をして行く」この感じ方をベースに、紙人形芝居業者は遺伝子の中から又も知恵を湧出させ、紙に絵を画いて見せる紙芝居に転換して行く。それが、平絵(ヘラエ)と呼ばれる、今現在の街頭紙芝居絵なのだ。
正に昭和5年、その平絵の街頭紙芝居発生を力つけたのは、「黄金バット」キャラクターの出現である。
このキャラクターを用いた平絵紙芝居の物語り絵は、瞬時に子ども達の心をとらえて行った。
人気沸騰し、水アメを売りながらの職業として、東京を中心に全国3万人に急増した。

しかし、昭和13年の支那事変から大東亜戦争への進むにつれ、街頭紙芝居業者も戦地に行かされ、大東亜戦争敗戦の昭和20年8月15日には、1人も紙芝居業者が居なくなっていた。
しかし、敗戦と共に戦地からの帰還兵の中の元紙芝居業者は、飛びついた。しかし、生活のためのアメ売り行商意識が主流で、文化としての価値認識がなかった。
従って、戦後日本の復興が進行し、はなやかに東京オリンピックが開催されるや、紙芝居を廃業し、給料の高い工場勤務に転換して行った。

街頭紙芝居業は衰退の道に突入した。
しかし、今現在、私一人がプロ街頭紙芝居師として生き残って、生活を懸け、命をかけて、時代を試しながら復活に挑戦している。
継続30年、親子2世代、3世代に渡り子ども達に受け継がれ、観に来て、私の街頭紙芝居と生活を支えてくれている。

その原因は、うつし絵の時代の幕末から、紙人形芝居の大正末までの感動的な紙芝居歴史の進化に我が感性が心から感動し、昭和5年からの平絵紙芝居への劇的転換の先人の勇気と心意気に我が命はふるわされたからだ。

絵を「見る、見せる」という実に単純な動作の中に、人間同士のふれあいと大きなコミニュケーションが生まれるのを、深く、重たく、目標高く感じさせられたのは、単なる水アメ売りの行商意識とは異質の「心」、すなわち、生きるたのしさと、生きる勇気を生む日本伝統の文化だと我が感性が心から実感したからだ。
我が求感性は、強力に理性を働かし、知的感性を生み、世界中で日本独自の後世に伝えるべき価値ある文化意識の心を私に感じさせてくれた。

しかし、今現在日本社会は街頭紙芝居を理性的判断でしか理解が及ばず、マイナスに位置づけられてしまった。
今、日本はすべてに与えられ過ぎた。

飽食と大量生産の無駄を人間の「しあわせ」と勘違いし出した。物を大切にし、恩を感じ、感謝する人間の知的感性を失ってしまった結果である。
高学歴社会を盲信していて、理性と感性のバランス感覚を死滅させているのに気付かないのだ。

感性とは、38億年前、生命の発生のアメーバの時代から、人類が先天的に与えられているものであり、理性とは後天的に自分が生まれてから言葉を覚え、言葉と言葉をつなぎ合わせて出来る観念なのだ。人間はより良く生きる為には、感性を主役として理性を脇役的に使いこなして行くことが大切だ。
理性は、用い方の時間空間次第で善にも悪にも変身する、実に不完全な能力で、一度認識すると固定してしまい変化を認めない。
一種のロボット能力で、結果は嘘、間違いになってもそのことが分からず、そのまま突進するだけだ。

今、学校教育は、理性を盲信し理性過剰の欠点に目を向ける能力も失い、ブロイラー飼育の様に、無理矢理に心の欲しないものを教え過ぎだ。
すべての子供達は心から湧き出て来る自分の欲望や夢に向かって学びたがっている。

夢とは子供達が成長する為の命から湧いて来る欲求だ。
その欲求の実現教育こそ、子供達の命のよろこびであり、その成長が天から各人に与えられた、天分の発見へとつながり、自他共に思いやりの心を持ち、感謝出来る人生を創造することが出来るのだ。
自ら感じたことを中心に、理性を用いて学ばせる学校システム、6、3、3、制度の大改革を叫ぶ教師こそ、時代の要求なのだが、誰一人手を上げる人が居ない。

今、感性論教育として、教えが育を超えてはならないと力説されているが、文部行政にたずさわる人々は真剣に感性学を学ぶべきだ。
そして、教と育との中心点「零」の位置に反応出来る感性力、すなわち調和作用を理解し、シンメトリーの法則を活用し、教と育の間を二辺往来しながら時代と共にたえず中心点を感じる感性論的バランス教育を創造すべきだ。
そして60数年に渡る戦後教育の中で、街頭紙芝居衰退の一つの原因は、唯物思想を信じる偏向教師達の挙動であった。
何でも平等、権利の主張、己の義務を考えなく、国家意識も持たない日教祖的教育思想と、それに近似の共産思想かぶれの偏向作家、教師達と出版社が手を組んで制作し、室内で教室授業の延長感覚で活用した粗末な絵の教育紙芝居の拡大だ。
学校教育の補いとして、日本中の幼稚園や学校、図書館、市町村図書館等に税金で購入させ、拡大して行った。

その反動として、街頭紙芝居が非難の対象とされる。食品が不潔だ。絵の色が強烈過ぎる、ストーリーが邪悪だとか、そして子供達のあそびが「悪」であるとの風潮だ。
これに同調的なPTA、地方図書館職員達の無責任なボランティア感覚での教育紙芝居上演が、街頭紙芝居を圧迫して行った。
非難の本質は、教育という立場から見ると、街頭紙芝居は街頭で子供達のお金を取り上げている卑しい仕事だとの認識があった。
それが世間の蔑視を増長して行く。
その勘違いに反論する人はあまり居なかった。

大元の責任者「絵元」(えもと)さん自身が世間の目を恐れていたのだ。日本独自の文化としての哲学を持って居なかった。実に街頭紙芝居の心を大元の責任者「絵元」さん自身が分からなかったのだ。
街頭紙芝居師の売り上げのピンハネ?で金もうけが目的だったのだから…。
街頭紙芝居師は自分よりも弱い立場の子供達からお金を頂き、生活をしなくてはなりませんから、子供が納得し、よろこんでくれる為の心づかいが大切です。

「大人の知識を捨て、子供の思いに合わせてやる、そして子供達がよろこんでくれる姿を実感し、その後から初めて自分がよろこぶ」、この心づかいが大切だ。
この心こそ21世紀の世界中に広げねばならない街頭紙芝居道の心であり、日本国独自の感性論教育の要諦だ。

街頭紙芝居師は、毎日定刻に2~3ヶ所「子供だまり」を創造する為に路地裏や、街頭を拍子木を打ちながら20分位は案内に廻ります。
すると紙芝居舞台の置かれた子供だまり広場にそれぞれの子供達、親達も集まってくる。
初めは誰も居ない子供だまり広場の空き地がだんだんと人数が増えて来、それぞれにコミュニケーションがふくらんで行く。
自分の意志で友達との会話、友達の弟妹、お兄ちゃん、お姉ちゃん達と対話、スキンシップ等々。思い切り自己の思いを展開し、表現出来る広場は感性エネルギーの渦巻きとなって行く。
一人っ子の多い昨今、子供が社会性を体験できる最高の広場であり道場となるのだ。

子供達は学校を含め、家庭までも冷たい理性過剰の環境に置かれているから、暖かい命の環境を求めて、子供だまりに集まり、街頭紙芝居に命を温められてよろこぶのが、子供達の命のバランス感覚だ。
子供達の健康でたくましい成長は、感性と理性のバランスの良い感覚によるものだ、と教師と親たちは感じるべきだ。
しっかりと人の心、自然の心を感じ、受け止めれる体験学習は脳が完備する10才頃までが特に大切だ。
従って子供達の命の根源にかかわる街頭紙芝居の心は単なる趣味や無責任なボランティア意識、金儲け意識だけで取り組むものではない。

純真な子供達の魂と向き合う為には、生活をかけ命をかけて取り組むべき楽しい職業だ。
昨今の大人達は、そこそこの貯えも持ったので、第二の人生意識を持ち出したがっている。趣味的で気ままな態度だ。
これは、大人の甘えと無責任の裏返しで己の天分への反逆性に気付いていない。
こんな大人は子供の魂を悪化させるだけだ。
我が街頭紙芝居道から感じ、観ると人生は善悪共に内蔵し、生きる一本の竹の様に死ぬまで節をつくりながら成長し続ける一つの感性人生と自覚すべきだ。

未来の歴史を創る子供達の自由自在に成長する魂と接する街頭紙芝居師は、子供達との交流の中で己も成長させられる神聖な職業と認識すべきだ。
従って街頭紙芝居に関わる人の安易な取り組みは遠慮して頂きたい。プロ街頭紙芝居師を志すには、命をかけた決断が大切だ。
命をかけるとは、心の底から沸き上がって来る強い欲求に対して、一度決断したら、後からどんなに良い現象、悪い現象が生じてもブレない強い精神力だ。
その為にも感性が理性を使って、究極のシュミレーションが必要だ。
このように決断出来た人こそ、晴耕雨読の自然同化の生活感で、継続力が生まれて、街頭紙芝居道の扉が開かれ、進化発展して行くのだ。

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