第25話 「応答せよ、はやぶさ」誕生への道

東北震災復興支援ボランティア街頭紙芝居活動の為、休筆していました。

この街頭紙芝居絵が完成したのは、平成23年12月である。
発想から完成まで、12ケ月もかかった。実は、はやぶさが宇宙から地球に帰還したのは、平成22年6月13日で、6ケ月も過ぎた12月末頃のヒラメキであった。
当日のテレビニュースも視覚では見たはずだが、意識には少しも残っていなかった。
「中村久子の生涯」6巻60枚の街頭紙芝居を制作し、タケシのアンビリーバボーにも放映され、7年も日本全国巡演しながらその間、色々なテーマで新作づくりに挑戦していたが、晩年をたくましく、他人のやらない事をやって過ごしたいとの感性が強く、次々に湧いて来てくれるその発想に我が命がよろこばず直ちに消えて行っていた。
こんな不安定な心情の時、突然「はやぶさ」の紙芝居を制作している人が居るらしいとの噂が飛び込んで来た。
すると異常なくらいの好奇心と闘争心が湧きあがって来るのだ。
まったく予想もしない心の躍動だ。しかし、しばらくすると、心の片隅から俺は文系人間だから、理工系のテーマは無理だと機械的に否定の既成想念が湧き出て来て、いつの間にか打ち消されて行った。
それから3ケ月後、平成23年3月11日東北大震災が発生、テレビの映像に金縛りになっていた。
地震、津波、原発放射能汚染の無残さと人間の無力さに打ちのめされている時、忽然として再び湧き上がって来たのは「はやぶさ」の太くて大きな4文字なのだ。
半日位、消えたり現れたりしている時間の中で、俺には無理だ!との理性意識が再び襲ってくる。
画家を探しての苦労と、特に製作費用の捻出問題が理性能力の減点法に打ち負かされ又も消えて行った。
長年月、紙芝居の新作づくりに没頭する楽しさを味わっていないと、心身共に飢餓意識が生まれ、毎日の生活がどこか重たく感じて来る。

その間、
なんとかなる!
なんとかするぞ!!
エイッ!ヤァァー!

気合いを入れまくりで感性を太らせていた。
俺の潜在能力は偉大だ。
いつも必要な時、必要場所へ俺を導いて来る。4月中頃、名古屋のホテルで20名位の仲間と一泊宿りで感性論哲学の勉強会に参加していた。大変真剣な勉強だった。
勉強会が終わって帰途、午後4時頃、新幹線の中でうとうとしていた時、突然車内一杯に黄金色に「はやぶさ」の文字がふくれ上がって見えて来る。
体中があたたかく感じて来る。
俺の感性の爆発だ。
今度は足を引っ張る理性能力はすべて現れない。
大阪駅に着くと一直線に紀伊国屋書店に飛び込んでいた。
俺に解りやすそうな「はやぶさ」の本を4冊買って読みまくる。
横文字がチンプンカンプンで急いで電子辞書を購入する。
必死に読みまくるが、苦手な理系の言葉に理解の時間が取られ過ぎる。
2週間後、ようやくストーリーの骨組みが出来た。
俺は30年前から紙芝居ストーリー修正に協力してくれている放送作家に文章の肉付けを依頼し、2ケ月かかってようやく完成した。
それと並行して画家探しだ。
十年前に出会っていた芸大生をようやく探し出すと、個展を開くまでに成長していて、展示会用の絵の制作の真っ最中だ。
奇跡的な再会だからこの現象は頭脳を超えて我が感性はすでに見抜いていたのだ。
展示会が終了して直ぐとりかかってくれたが、3ケ月はかかったのだ。
ストーリーの裏書き工程。絵の薬品処理を経て、完成したのは、平成23年の年末12月の下旬である。越年の忙しい最中である。
理性能力の減点法的発想にしばられていたら、100年経っても完成していなかっただろう。

俺の紙芝居人生は、ヒラメキの感性に従うので人智を超えて我が思いを成就してくれている。
次年の平成24年1月30日午後2時より東北震災復興支援ボランティア紙芝居「応答せよ、はやぶさ」3巻の実演を兼ねて全国発表会を地元北区の集会場で開いた。
マスコミ4社の取材もあり、運動資金の一部も集まり、2月7日より1週間岩手県の被災地へと行った。

釜石、大槌、小槌の仮設住宅、小学校を中心にボランティア出演をし、その後毎月7日間を目標に、宮城、福島の各被災地3県をボランティア紙芝居を巡演をし、今、8月も終わろうとしている。
来る9月中旬から仙台を中心に開催の準備中だ。
東北ボランティア紙芝居巡演記事は共同通信社の協力もあり、全国40紙以上にもなる。テレビ、ラジオで全国放送3本と地域のテレビ放送7本も協力して頂いた。
我が命がなぜ東北に熱中するのか、その意味が俺にもわからなかった。
唯、「やむにやまねぬ大和魂」吉田松陰の辞世の歌の一節と、「命よりも大切なものがある」叫ばれている感性論哲学者芳村思風師の詩の一節が我が心のすべてを満たしてくれていた。
東北ボランティア紙芝居にすべての命を使い切って行く楽しさだけで走っている中で、会津若松市での出演の最中に、少年白狐隊の生き様が心に湧き上がって来た時、「東北の復興なくして、日本の再生なし」との言葉か飛び出して来た。
そして翌日7月4日は台風で土砂降りの雨の中、福島県郡山市で仮設住宅集会場で出演している最中にも「東北の復興は街頭紙芝居の復活だ!!」との強いヒラメキを得た。
人生とは、ヒラメいたら直ぐ実行あるのみだ。
街頭紙芝居は学校中心の教育紙芝居とは異質で人々に生きる力を湧かせる日本独自の文化だ。
今、俺は東北復興、日本復活、我が命である街頭紙芝居の復活のど真ん中にいるとの不動の思いを得て大きく万歳を叫んでいる。
81才肉体は疲れもあるが、わくわく感で一杯だ。
今こそ俺は、己の天分に生き、天命に従って生きまくるのだ。
命が消えても東北復興のボランティア活動はやり続けるぞ!!
この記事に心を動かれた方、下記の口座に寸志をお送り頂ければありがたいです。
皆様方の代表として復興支援を続けます。

りそな銀行 天六支店 普通 0021199番 杉浦 貞(スギウラ タダシ)

追伸
月刊誌「致知」(チチ)10月号に私の記事が載ります。読んで下さい。

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