Archive for the ‘プロの紙芝居師’ Category

プロ街頭紙芝居師養成講座開催

火曜日, 1月 10th, 2017

紙芝居は日本だけの文化です。この街頭紙芝居には演じる「型」があります。ボランティアで演じる方も相手が子供さんが多いので、安易に実演されていますが、基本の「型」を修めることで、必ず演じる楽しみが倍になるはずです。自らの演技に楽しみを感じませんか?そのためのプロ街頭紙芝居師養成講座を行います。是非下記の講座に参加してみて下さい。

日   時: 2017年2月26日(日) 14時00分から17時00分

場   所: 老人憩の家2F (長柄八幡裏)大阪市北区長柄中3-4-2
費   用: 3,000円
交   通: 地下鉄・堺筋線/谷町線「天神橋筋六丁目」駅2番出口左(北)へ歩いて10分
市バス・大阪駅前から長柄西/長柄八幡宮前下車
新幹線・新大阪駅からタクシー 1,200円位
申込方法:
住所、氏名、年齢、電話番号、職業を明記の上、2017年2月17日(金)までに
当協会宛(下記)に、FAX又は電話にてご連絡下さい。
先着15名までです。

特定非営利活動法人 紙芝居文化協会 杉浦 貞
〒531-0062
大阪市北区長柄中2-7-16 TEL & FAX 06-6353-2957

プロ街頭紙芝居師養成講座開催

火曜日, 7月 26th, 2016

紙芝居は日本だけの文化です。この街頭紙芝居には演じる「型」があります。ボランティアで演じる方も相手が子供さんが多いので、安易に実演されていますが、基本の「型」を修めることで、必ず演じる楽しみが倍になるはずです。自らの演技に楽しみを感じませんか?そのためのプロ街頭紙芝居師養成講座を行います。是非下記の講座に参加してみて下さい。

日   時: 2016年9月10日(土) 14時00分から17時00分

場   所: 老人憩の家2F (長柄八幡裏)大阪市北区長柄中3-4-2
費   用: 3,000円
交   通: 地下鉄・堺筋線/谷町線「天神橋筋六丁目」駅2番出口左(北)へ歩いて10分
市バス・大阪駅前から長柄西/長柄八幡宮前下車
新幹線・新大阪駅からタクシー 1,200円位
申込方法:
住所、氏名、年齢、電話番号、職業を明記の上、2016年9月9日(金)までに
当協会宛(下記)に、FAX又は電話にてご連絡下さい。
特定非営利活動法人 紙芝居文化協会 杉浦 貞
〒531-0062
大阪市北区長柄中2-7-16 TEL & FAX 06-6353-2957

第27話 日本画家へのコメント

金曜日, 5月 30th, 2014

絵とは、その時代を生きる人々の潜在欲求を先取りして未来を暗示し、表現されるものだと思う。

一つの時代は必ず頂点まで進化し、やがて衰退しながら次の時代を模索し、新たな進化の道を歩き始める。

絵は、その先駆けをつとめる。

地球人類の長い進化の歴史の流れを受け継いだ現代は、第二次世界大戦後、イギリス文明が衰退し、代わってアメリカが世界をリードして来たが、そのアメリカも衰退の道を歩み始めた。そして今や世界文明進化の流れは、アジアの天空に輝き始めたのだ。

中でも日本はその先兵となり、新しい世界文明の担い手として、全人類進化の要望を全身に感じ始める時代に来た。

しかし、絵には今割目に値するものが現れず、太平の世に甘んじたままだ。

そこで、日本文明独自の進化の歴史を俯瞰すると、ようやく国家らしくなって来た中世以後の文明進化には独自の法則が存在していた。

それは、その時代の全能力を結集し、「都」を造営し、その土地、風土のエネルギーを取り入れ、国を富ませ、文化を生み育て進化させて来ると、年月と共にその土地風土のエネルギーが衰えてきて新たな土地風土を探し求め、「都」を移しかえ文明進化発展を遂げて来た実績がある。

日本最初の「都」は古代の奈良に築かれ奈良文化を完成させ、以後の日本文明の進化発展の先駆けを務めた。やがて頂点を極め、衰退して来ると、京都に遷都され、それも土地、風土のエネルギーを使い果たし衰退して来ると、鎌倉に移り、そして又、京都へともどり、最後は江戸、東京に遷都されながら、日本文明千三百年の進化発展で現在に至っている。

その東京も江戸期から四百年の歴史を刻み、開発され発展して来たが、長い年月の中で、風土、大地のエネルギーも消滅し、進化の余地も失せてきているのが現状だ。

この流れの中で今、世界文明の期待を全身に浴びて来ている日本は、世界で唯一遷都による文明進化発展の実績国としての責任を真剣に受け止め行動すべき歴史的時代に来ている。

(感性論哲学者 芳村思風遷都論より)

 

さて、新しい文明、文化発展の先駆けは、文字より絵である。

絵は趣味として画いているだけでは、歴史の進化発展に応える潜在能力は生まれない。

潜在能力を生むためには、己の画境に歴史の要望と責任を感じ取り、生活をかけ、悩み苦しみ、現実の修羅場を体験し、今を切り開く使命に目覚め、この一瞬に命を輝ける画家に昇華することである。

命をかけるとは、命より大切なものに目覚めたその画家だけに与えられる人類オンリーワンの画境を持った、画家の誕生であり、己の天分を知り、天命に生きる画家になれるのだ。

今こそ、ピカソの具象画家から抽象画家への変身を超越して、数千年、数百年に一度の歴史的地球大激変が一挙に重なり襲って来ている今現在、我が地球文明進化の先兵を自覚し活躍される画家の出現を切に願うものである。

平成26年5月吉日

     プロ街頭紙芝居師  杉 浦    貞

第26話 紙芝居は我が命

水曜日, 10月 17th, 2012

もうすぐ10月も下旬ぁ!!歳月人を待たずだ!!毎月我が「想」いをこのインターネットに発表する計画が、毎月1週間、今年2月から続いている。東北震災復興支援ボランティア街頭紙芝居の実践、仮設住宅との連絡がいつもうまくつながらず、又地元大阪での毎日の実演日時の調整と段取りに追われ続けて、気持ちの余裕がないので、記事が書けないのだ。心が折れそうになることもあるが、しばらく横になって休むと、スーッと消えてくれるのでありがたい。

この記事も心待ちにされて居られる方からのFAXでのお便りの内容を見ると、実に申し訳ない気持ちで一杯だ。

誰に頼まれたのでもなく、「湧き出て来る己の意識が東北ボランティア紙芝居実演に俺をのめり込ませて行くのだ。
振り返れば、平成23年の年末に、11ヶ月もかけて制作した「応答せよ、はやぶさ」の街頭紙芝居に行き着く。
真赤な火の玉の様な我が感性が潜在意識から吹き上げてきたテーマだった。これは己の利欲を度外視した、純粋な命からの欲求だった。俺の体に住み着いている神様の欲求なので、いつも逆らわず行動に移している。
続けると、「東北の復興は日本国の復興、復活だ」と実感出来る様になって来た。命を削る無我夢中の行動の中に、やっと理性が働き出したのだ。
いつも俺の損得の意識は行動の後から実感を供えて現れて来る。これはきっと、絶滅の危機になるプロ街頭紙芝居の復活につながるのではないかとの片思いなのか?。絶滅の危機とはどんなものか、それは月刊誌「致知」(ちち)10月号に「紙芝居は我が命」と言う題で掲載されているのを、出版社の好意により、ここに発表させて頂きます。

感想、ご意見があれば、FAX、手紙をお送り下されば幸甚です。
〒531-0062 大阪市北区長柄中2-7-16  杉浦 貞  FAX.06-6353-2957

以下、月刊「致知」2012年10月号(致知出版社刊)より転載

「紙芝居は我が命」

まだ誰もいない公園を背に、よく音のとおる拍子木を打ちながら街を回る。20分もすれば、子供たちが公園に集まり出す。子供たちが自らの感覚で小さい子は前、大きい子は後ろの順で座りだせば、いよいよ街頭紙芝居の始まりだ。街頭紙芝居は、マンガ1巻、続き物の物語1巻、最後にとんちクイズ10問が出て、正解者は水飴券がもらえるという決まりで行われる。
もっとも紙芝居はただ子供たちを喜ばせればよいというものではない。例えば水飴券は一週間後にしか使えないため、その間子供たちには我慢することを教えている。また、クイズでの「ハイ」の返事は、私の目を見てしないとやり直しをさせている。元気な返事が子供たちの自立心を育て、友達関係を良好に築く原点となるのだ。
私はプロの街頭紙芝居師としてこの道32年、毎週12か所以上、年間600回以上紙芝居を上演することを生活のためのノルマとしてきた。しかも駄菓子の値段を32年間、一度も値上げすることなく一律50円を守り続けているのだ。
だが最盛期だった昭和30年代に紙芝居師が全国に5万人いたのもいまは昔。現在、紙芝居で生計を立てているプロの街頭紙芝居師は81歳になる私一人のみだが、200年の歴史を持つ紙芝居という、日本独自の文化を担っているという気負いはない。むしろいまの仕事は我が天分であり、楽しくてやめられないというのが本音だ。
初めて街頭紙芝居を見たのは20歳の時だった。石川県羽咋市という田舎から身一つで大阪に出てきた私は、その日も日雇いの仕事を終え、大遺芸が並ぶ盛り場をあてもなく歩いていた。ふと広場の片隅に年配の老人が子供や婦人たちを集めて何かをしているのに気がついた。聞けば紙芝居屋といって、いっぱしの職業だという。肉体労働だけが生きる道だと考えていた自分には、口先一つで生活ができると知った時の驚きと感動はいまも忘れられない。
紙芝居師を志したのは勤めていた会社が倒産する1年前、48歳の時だった。すでに紙芝居師は街からほとんど姿を消していたが、かつて20歳の時に大阪で偶然出会っていた紙芝居への潜在意識に火がついたのだ。最初は祝祭日に知人から道具一式を借り、家から遠く離れた公園で見よう見まねで上演した。当時紙芝居師は乞食の一つ上と蔑視され、家族は私が近所で紙芝居を演ずることを嫌がったからだ。そんな最中に会社が倒産。過去2度倒産の憂き目を味わった私にとって新たな職探しは気が重く、その反動からかますます紙芝居にのめり込んだ。
だが失業保険が切れる頃になると、家族の強い反対もあって焦りが募り、職探しで紙芝居を一週間ほど休んだことがあった。すると街で私を見つけた子供たちがしきりに紙芝居をせがんでくる。いつの間にか、子供たちとの間に伸間意識が芽生えていたのだ。私の紙芝居を待つ子供たちがいる。この瞬間、腹が決まった。「明日必ず行くから待っとれ!」。紙芝居屋として生きていこうという強烈な人生の決断が生まれたのだ。
しかし現実は厳しい。私の収入が減ったため、妻はパートに、そして子供二人は高校生になるとバイトに出ざるを得なくなった。将来への不安が常につきまとい、それまでの温かい家庭の雰囲気は消え、殺伐とした空気が漂うようになった。さらに追い討ちをかけるように、紙芝居に子供が集まらなくなってきた。いま思えば紙芝居がマンネリ化していたのだが、それでも雨さえ降らなければ毎日、毎日公園へと夢中で出掛けていった。
1月下旬その日は朝から雪だったが、午後から急に晴れ間が差すとすぐに街中へ飛ぴ出す。しかし、目指す市営団地の広場には雪が積もり誰も集まらない。いたたまれない気持ちでその場を去ろうとした時、一人の女の子が自転車置き場の隅からそっと現れた。私の顔をじっと見つめ、「おっちゃん、水飴ちょうだい」と百円玉を差し出してきた。私は自分が惨めでしょうがなかったがしぶしぶ水飴をつくった。そしてもう1本水飴を求めたその子に「おっちゃん、ご飯食べられるんか」と言われた時には、私のさもしい心が見透かされてしまったように感じ、逃げるようにその場を後にした。
その子のことが頭から離れぬままに10日ほど過ぎただろうか。ふと自分は心のどこかで子供たち相手の商売を馬鹿にしていたことに気がついた。お菓子を買ってくれるのは大人ではなく子供たちなのだ。自分たちの仲間だと思って対等な気持ちで水飴を買ってくれる子供たちは、私の生活の神様なのだ。そう閃いた瞬間、心が晴れ晴れとして気持ちがどんどん前向きになるのを感じた。そして子供たちが喜んでくれることだけを四六時中考え続けるようになって、俄然紙芝居が面白くなってきた。
それからは「村田兆治物語」など意欲的に新しい紙芝居の題材にも取り組んだ。今年2月には新作「応答せよはやぶさ」を持って、毎月1週間、東北三県の復興支援ボランティア紙芝居を実践し、老人や子供たちに諦めない心の大切さと生きる勇気や感動を伝えている。
きょうも街のいつもの広場や公園で拍子木を合図に私の紙芝居が始まる。辛いことは幾度もあったが、紙芝居師としての自負心や楽しさと、溢れる感性を武器にその時その時の道を切り開いてきた。プロ紙芝居師とは、子供たちとの友情を創造し、深め合える神聖な職業だ。そして仕事を通じて人格を磨き高め、紙芝居道の確立に命を燃やすことが私の生きる道なのである。
(すぎうら・ただし=プロ街頭紙芝居師)

第25話 「応答せよ、はやぶさ」誕生への道

水曜日, 8月 29th, 2012

東北震災復興支援ボランティア街頭紙芝居活動の為、休筆していました。

この街頭紙芝居絵が完成したのは、平成23年12月である。
発想から完成まで、12ケ月もかかった。実は、はやぶさが宇宙から地球に帰還したのは、平成22年6月13日で、6ケ月も過ぎた12月末頃のヒラメキであった。
当日のテレビニュースも視覚では見たはずだが、意識には少しも残っていなかった。
「中村久子の生涯」6巻60枚の街頭紙芝居を制作し、タケシのアンビリーバボーにも放映され、7年も日本全国巡演しながらその間、色々なテーマで新作づくりに挑戦していたが、晩年をたくましく、他人のやらない事をやって過ごしたいとの感性が強く、次々に湧いて来てくれるその発想に我が命がよろこばず直ちに消えて行っていた。
こんな不安定な心情の時、突然「はやぶさ」の紙芝居を制作している人が居るらしいとの噂が飛び込んで来た。
すると異常なくらいの好奇心と闘争心が湧きあがって来るのだ。
まったく予想もしない心の躍動だ。しかし、しばらくすると、心の片隅から俺は文系人間だから、理工系のテーマは無理だと機械的に否定の既成想念が湧き出て来て、いつの間にか打ち消されて行った。
それから3ケ月後、平成23年3月11日東北大震災が発生、テレビの映像に金縛りになっていた。
地震、津波、原発放射能汚染の無残さと人間の無力さに打ちのめされている時、忽然として再び湧き上がって来たのは「はやぶさ」の太くて大きな4文字なのだ。
半日位、消えたり現れたりしている時間の中で、俺には無理だ!との理性意識が再び襲ってくる。
画家を探しての苦労と、特に製作費用の捻出問題が理性能力の減点法に打ち負かされ又も消えて行った。
長年月、紙芝居の新作づくりに没頭する楽しさを味わっていないと、心身共に飢餓意識が生まれ、毎日の生活がどこか重たく感じて来る。

その間、
なんとかなる!
なんとかするぞ!!
エイッ!ヤァァー!

気合いを入れまくりで感性を太らせていた。
俺の潜在能力は偉大だ。
いつも必要な時、必要場所へ俺を導いて来る。4月中頃、名古屋のホテルで20名位の仲間と一泊宿りで感性論哲学の勉強会に参加していた。大変真剣な勉強だった。
勉強会が終わって帰途、午後4時頃、新幹線の中でうとうとしていた時、突然車内一杯に黄金色に「はやぶさ」の文字がふくれ上がって見えて来る。
体中があたたかく感じて来る。
俺の感性の爆発だ。
今度は足を引っ張る理性能力はすべて現れない。
大阪駅に着くと一直線に紀伊国屋書店に飛び込んでいた。
俺に解りやすそうな「はやぶさ」の本を4冊買って読みまくる。
横文字がチンプンカンプンで急いで電子辞書を購入する。
必死に読みまくるが、苦手な理系の言葉に理解の時間が取られ過ぎる。
2週間後、ようやくストーリーの骨組みが出来た。
俺は30年前から紙芝居ストーリー修正に協力してくれている放送作家に文章の肉付けを依頼し、2ケ月かかってようやく完成した。
それと並行して画家探しだ。
十年前に出会っていた芸大生をようやく探し出すと、個展を開くまでに成長していて、展示会用の絵の制作の真っ最中だ。
奇跡的な再会だからこの現象は頭脳を超えて我が感性はすでに見抜いていたのだ。
展示会が終了して直ぐとりかかってくれたが、3ケ月はかかったのだ。
ストーリーの裏書き工程。絵の薬品処理を経て、完成したのは、平成23年の年末12月の下旬である。越年の忙しい最中である。
理性能力の減点法的発想にしばられていたら、100年経っても完成していなかっただろう。

俺の紙芝居人生は、ヒラメキの感性に従うので人智を超えて我が思いを成就してくれている。
次年の平成24年1月30日午後2時より東北震災復興支援ボランティア紙芝居「応答せよ、はやぶさ」3巻の実演を兼ねて全国発表会を地元北区の集会場で開いた。
マスコミ4社の取材もあり、運動資金の一部も集まり、2月7日より1週間岩手県の被災地へと行った。

釜石、大槌、小槌の仮設住宅、小学校を中心にボランティア出演をし、その後毎月7日間を目標に、宮城、福島の各被災地3県をボランティア紙芝居を巡演をし、今、8月も終わろうとしている。
来る9月中旬から仙台を中心に開催の準備中だ。
東北ボランティア紙芝居巡演記事は共同通信社の協力もあり、全国40紙以上にもなる。テレビ、ラジオで全国放送3本と地域のテレビ放送7本も協力して頂いた。
我が命がなぜ東北に熱中するのか、その意味が俺にもわからなかった。
唯、「やむにやまねぬ大和魂」吉田松陰の辞世の歌の一節と、「命よりも大切なものがある」叫ばれている感性論哲学者芳村思風師の詩の一節が我が心のすべてを満たしてくれていた。
東北ボランティア紙芝居にすべての命を使い切って行く楽しさだけで走っている中で、会津若松市での出演の最中に、少年白狐隊の生き様が心に湧き上がって来た時、「東北の復興なくして、日本の再生なし」との言葉か飛び出して来た。
そして翌日7月4日は台風で土砂降りの雨の中、福島県郡山市で仮設住宅集会場で出演している最中にも「東北の復興は街頭紙芝居の復活だ!!」との強いヒラメキを得た。
人生とは、ヒラメいたら直ぐ実行あるのみだ。
街頭紙芝居は学校中心の教育紙芝居とは異質で人々に生きる力を湧かせる日本独自の文化だ。
今、俺は東北復興、日本復活、我が命である街頭紙芝居の復活のど真ん中にいるとの不動の思いを得て大きく万歳を叫んでいる。
81才肉体は疲れもあるが、わくわく感で一杯だ。
今こそ俺は、己の天分に生き、天命に従って生きまくるのだ。
命が消えても東北復興のボランティア活動はやり続けるぞ!!
この記事に心を動かれた方、下記の口座に寸志をお送り頂ければありがたいです。
皆様方の代表として復興支援を続けます。

りそな銀行 天六支店 普通 0021199番 杉浦 貞(スギウラ タダシ)

追伸
月刊誌「致知」(チチ)10月号に私の記事が載ります。読んで下さい。

第24話 日本のはやぶさ成功の今後の教育に現われる影響について

日曜日, 1月 1st, 2012

 平成22年6月、世界中注目の中、7年もかかって帰って来た日本の小惑星探査機「はやぶさ」は、その誕生までの過程を調べると、日本の教育6、3、3制の理性中心のガリ勉秀才では絶対に作れなかった成品だった。
 制作のすべては、感性を初動として、経過の一つ一つがそのヒラメキを基本として作られているものだった。
 分かりやすく言えば、今まで習った教科書には一つも記載されていない世界なので、自ずから必要に応じて自分流の教科書を作りながら完成させて行ったものだ。
 成果は、世界一ではなく、人類初の快挙を目指したものなのだ。
 従って、日本人以上に外国人達の驚きと感動が大きかった。
 制作研究のバックボーンは、使用する多大な税金に対して、国民への責任感と感謝心と使命感だった。そして、日本人としての誇りと成功に向けての闘争心だった。
 それが、はやぶさ制作の研究過程で成功の為の努力の中で、感性から生み出されたのが、加点法なのだ。
 日本で長年の間、用いて来た減点法教育ではこんな感性からの発想は生まれず、人類初の快挙なんか実現出来るはずはなかったのだ。
 そんな中で、あきらめない心が、命をかけた信念にまで高められていった。
 仲間との信頼と団結心は、能力のすべてを発揮させるために、説得ではなく納得の原理をあみ出しての成果だった。
 私の感性では、今の学校制度は戦後61年以上も使いよごしたもので、今現在の理性過剰な教育内容では、未来を背負う子供達の心をどんどん無機質化させ、真・善・美が土足の理性で踏みにじられ、やがては人間社会の崩壊につながると感じています。

 21世紀は感性の時代だと意味も分からず叫んでいる人々も居られますが、実は一人一人の痛みを伴った制度改革につながるものなのです。
 私の感性は、この事を日本中にうったえるべしと痛感し、この「応答せよ!はやぶさ」の題名で11ヶ月の歳月をかけて紙芝居を完成させました。
 この事に共鳴される方は是非「応答せよ!はやぶさ」発表の初公開に参加して下さい。
 そして、閉ざされている貴方の感性の扉を自ずからの意志で開けて下さい。
 21世紀に向って己の命に恥じない人生を自ずから創造されんことを祈るや切です。

第23話 プロ街頭紙芝居師として年末を迎える

水曜日, 11月 30th, 2011

 私は近年、1年の終わりは11月までと感じる様になり、意識が変化して来て、12月は1年間の「おまけ月」だと考えています。
 すると不思議なことに、毎年12月を迎えるのが楽しさを含んだ何となくゆったりとした気分が生まれて来ています。
 さて、30年間、降雨以外は毎日、街頭広場で紙芝居を実演して来ましたが、今年の寒暖の変化の大きさには驚かされました。1日の間に10℃以上の温度変化が生まれますと、体調維持が大変で、肉体感性が弱って来ます。
 街頭紙芝居歴30年を振り返れば、毎年600回以上、多忙な年には1000回以上も街頭で実演して来ました。今では、親子二世代目、三世代目の子供達とのコミュニケーションが生まれていて、実に楽しい雰囲気が、かもし出されて来ています。
 長年続けて来た私への勲章でしょう。
 時には、世界で唯一人のプロ街頭紙芝居師だと過分の評価を下さる方も居られますが、わがままにも、世間の反対を押し切って、生活をかけた職業として自ら選び決断し、突き進んで来た道なのですから、どんなに苦しいことが起きても、いつの間にか乗り越えて来ているのです。
 その根源は、一瞬なりとも忘れることのない、生活を懸けて取り組むひたむきな一所懸命さが土台となっていたからでしょう。
 感性論哲学の創始者吉村思風先生は、「人間らしい本物の人間になる為の働き方」について述べられています。

 先ずプロとしての職業を持て!
 プロとは何か、それは生活をかけ、命をかけ、人生をかけて働くことだと。
 21世紀という時代は、生活を懸けて一所懸命働くことで、必ず生じる修羅場の現実。それに揉まれながら人間性が磨かれ、本物の人間になる道が開かれて来ると。
 そして、21世紀は、人間性の陶冶(トウヤ)と金儲けを一石二鳥で同時にやってしまう凄い時代だと述べられています。

 かえりみれば、昭和30年代5万人も居られたプロ街頭紙芝居師さんの皆様は、その後の高度成長期に、金儲けの良い仕事が増えて来てるので、次々に廃業・転職されて行かれた。
 楽しみにしていた多くの子供達のかなしみの山を築いて行かれたのです。
 私が紙芝居をやり出した昭和48年には、全国でプロ街頭紙芝居師はわずか30人位に激減していました。
 いかに少人数でも、続けて居られる人がいると言う事は、生活が出来ると言う事です。世間の色々な雑音に逆らい、自分で決断し、妻子を養い生活が出来ると信じ、プロ街頭紙芝居に突進して行きました。
 どんな仕事でも生活を懸けた仕事には、チャランポランなものはありません。必死な思いで、潜在意識に訴え続けました。ジタバタとあがき、もがき、四苦八苦の修羅場の体験の中から天分への確信が生まれて来たのです。
 それがやがて、紙芝居200年への歴史観と、人生を懸けたプロ街頭紙芝居師の役割りと、社会性が顕現して使命感が湧き上がって来たのです。と同時にプロ街頭紙芝居道を極めよ!と強烈な欲求が感性から突き上げて来たのです。

 この境地から今、一般世間で行われている紙芝居を観てみますと、1ヶ月に1~2回、1年に3~4回位しかやらない人々が多く、そこにはどんな価値と意味があるのか疑問です。
 唯、漠然と、気まぐれに、下手で無責任な絵を持って紙芝居だと宣伝しているだけのものが多い様です。
 現在の紙芝居の流れを仕分けして思いますと、
 イ)趣味と自己満足でやっている人
 ロ)売名目的でやっている人
 ハ)己の商売PRで目的でやっている人
 ニ)小金稼ぎの手段としてやっている人
 其の他色々とありますが、いずれにしても生活を懸けた一所懸命さがなく、一を持って之(これ)をつらぬく根性も責任感もなんものばかりですから、人間性が磨かれるはずもないから、少し困難が発生すると挫折し、長続きはしないのです。
 やりたい事をやれるのが人間の幸の原点ですが、チャランポラン意識での取り組みでは、直ぐに子供達が見破り、再参加はしなくなり、消えて行く運命が生まれるだけです。

 今や世界的な景気の低迷と混乱期に突入して来ました。
 日本でも昨今不況感が街中に拡大し、子供達のお小遣いまでも減りつつあります。プロ街頭紙芝居師さんの収入の主流は、50円、100円の水アメが中心のお菓子販売です。しかし、街頭紙芝居師さん達の一所懸命さと命がけの努力は、必ず潜在能力を開花させ、子供達を呼び込んでくれるはずです。
 21世紀が進展して行きますと、人間同士の交わり方としてコミュニケーション要求が倍増して来るでしょう。
 その様な時代が来ると、相手の意見を押さえ込み論破する説得の論理が嫌われ、その反動として、相手の意見も取り入れ修正しながら、共に交わって行く納得の論理が主流となって来るはずです。
 説得の論理は、人間同士のコミュニケーション力にはなりません。

 プロ街頭紙芝居師は、趣味や遊びで行うものでなく、毎日、毎日の街頭実演は生活の確立を模索しながら実は人間同士間のコミュニケーション進化と活性化を求めあっているエネルギーです。だからこそ、街頭紙芝居には、職業として生活をかけ、命をかけ、人格を磨く意識の強靱さが求められる訳です。

 どうしようもない困難が発生したら、「プロ街頭紙芝居は、毎日が真剣勝負だ!!」と絶叫して下さい。
 そして、これからも生じてくる修羅場の環境の中で、俺はこのプロ街頭紙芝居の仕事を復活し、進化させる為に生まれて来たのだ、俺はこのプロ街頭紙芝居の為なら死んでも良いと強く思いましょう。
 すると、社会意識、宇宙意識が湧き出て来ると同時に、問題解決の知恵が潜在能力から湧き上がって来ます。
 その時「ありがとう。ありがとう。」と100回唱えましょう。
 感謝心が湧き上がり、使命感につながり、やがてプロ街頭紙芝居道の確立へつながると確信して居ります。

 プロ街頭紙芝居師を志す皆さん!。かつて戦国武将山中鹿之助は、主家再興の為、月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ。」と祈りました。
 いかなる艱難辛苦も我が夢実現の御馳走と考え、慌てず騒がず年末を坦々として走破して下さい。

第22話 中学女教師の教育魂

月曜日, 8月 8th, 2011

平成11年の4月1人の中学女教師が我が家に訪ねて来られた。
我が地元、大阪市北区の中学3年生の保育授業に紙芝居を制作し、幼稚園で実演させ、中学3年卒業の想い出をつくってやりたいとの説明と協力依頼である。

当時、地元中心に毎日、2~3ヶ所、街頭紙芝居20年のキャリア(今、現在では継続30年目だ)で、大半の生徒達は、幼児の時から出会っているので、よろこんで引き受けた。

その後、しばらく、連絡もないまま梅雨の終わった7月中頃、やっと先生が来宅され、紙芝居の台紙について尋ねて来られた。
ボード紙の使用を進言した。

小柄で可愛いメガネをかけたこの先生は、以前、家内が白血病で入院していた時に、他の病気で入院されていて、地元の中学校に勤務されていた関係もあり、知り合いとなったのである。

8月に入って、又来宅され、生徒達の取り組みを時間がある限り観に来て欲しいとの要望なのである。
行って見て驚いた。

7~8人を1つのグループとして、4つのグループを作り、各グループごとに自主的にディスカッションをし、その発案の中で、各グループごとの全員でそれぞれのストーリーを決め、絵を制作し、年末までに完成させて行くことになっていた。
そして、年明けの2月頃には、地元幼稚園3園で、各4組の紙芝居絵が各グループごと独自のやり方で、園児達に観てもらうことになっていた。

教育は、ヒラメキ、すなわち感性力だと感じていた私は、この女教師のヒラメキと直ぐに実行に移し、継続させて行く姿に、何か「捨て身」の悲壮感さえ覚えた。
しかし、御本人は実に淡々として居られた。
先生!良くぞここまでまとめられましたねぇ
と声をかけると、
いや、大変だったんです。
と、実にあっさりと一言のみ

何が大変だったのですか?
と尋ねると、
各組が何をどうしらら良いのか、紙芝居の制作は分かるのだが、その入り口が何もヒラメイて来ない。
従って、グループ全体が行動が起こせないので時間だけが過ぎていく。
先生はその間、問われない限りはアドバイスはしない。
各グループが命がけで考えると、必ず知恵が生まれと信じていたのだと。

スタートから2~3ヶ月も過ぎて、1つのグループの中から、声高の女生徒の発言者が生まれ、「今ヒラメイタことから直ぐ実行するんだ」との大声が、そのグループを元気づかせ、そのエネルギーが他のグループへと伝わって行ったそうだ。
その間、先生は黙って生徒達の変化を待ち続けたとのことだ。

それにしても、その忍耐力と気力に感服した。
教育とは、今、己のやりたいものを感じ、発見し、それを徹底的にやらせることが基本だと信じている私は、先生との共感がふくれ上がった。
教科書通り、機械的に授業を続けるだけでは、生徒は夢も持てず、能力も開花しない。
生徒本人の予想もしない能力と行動を引き出させるのが本来の教育なのではないか。
決められた通りに授業を進めるだけならば、ロボット教師を制作し、先生の代役をさせれば良いのだ。

先生のヒラメキ、すなわち感性を武器に、知恵を使わせ、子供達に未知への挑戦のたのしさに気付かせる。こんな授業方式が大切ではないか。

8ヶ月に渡る紙芝居制作に苦しんだ生徒達に、いよいよ卒業の3月、目標の幼稚園実演の本番がやってきた。
前日、校庭で夜8時まで実演の練習をしたグループもあり、不安と期待を胸に、3つの幼稚園を4つのグループがそれぞれの思いを秘して、実演して廻った。

園児達と一体になった各グループの中学生達に、園児達からお変えしのお踊りや太鼓が披露され、大感激のフィナーレとなった。
次なる写真と、生徒、先生の感想文がその証なのである。

教育関係者の皆さん。是非感想を聞かせて下されば幸甚です。

FAX 06-6353-2957

第21話 プロ紙芝居師誕生

木曜日, 7月 21st, 2011

6月19日、26日の両日曜日、大阪市北区豊仁憩の家2階で第40回、プロ街頭紙芝居師養成講座を開催しました。
プロ街頭紙芝居師養成講座を実行できるのは、日本で我がNPO法人紙芝居文化協会だけです。
プロ街頭紙芝居とは、生活をかけた職業です。一種の行商業ですが、昭和13年頃には、全国で3万人、戦後の昭和30年代には5万人もの黄金時代を築き、一世を風靡していました。
街頭紙芝居は世界で日本国だけに発生したもので、世界の文化として、実に貴重なものですが、今現在日本で唯一人残って活動して居るだけです。
敗戦後日本の貧しい時代、娯楽の少なかった子供達の感性を鷲掴みにした街頭紙芝居は、段突で、今、50代、60代、70代、80代の大人達の潜在意識に温かい思い出として、光を灯し続けています。

その原因の一つは絵です。
絵は昨今使用されている印刷ではなく、手描きのもので、プロの画法が秘められています。
又、毎日街頭広場で異なった絵の紙芝居を見せてくれるので、子供達は楽しくて、待ち遠しかったのです。
昨今花盛りの貧しい印刷紙芝居、又は素人の絵を少量持ち、室内での上演が当たり前と思って何の疑問もなく絵を引き抜いて見せているボタンティアと名乗る人々は、子供達より御本人が一人よろこんでいるだけなのです。

1ヶ月に1~2回や、年間5~6回実演するだけでは紙芝居の心は生まれません。
プロとは、年間600回以上やるもので、相手がよろこぶ姿を見て、その後で自分がよろこばせて頂くのが基本です。

プロ街頭紙芝居師を志す人は、大変な勇気と感性力が必要です。
今回のセミナーで千葉県の57才の男性と24才の奈良県の男性がプロとして巣立ちました。
街頭紙芝居の仕事をしながら生活をし、人格を磨き上げて行く為、仕事としては最高の職業です。
私はこの2人の勇気ある決断に拍手を送ります。

降雨以外、毎日上演し続けるプロ街頭紙芝居師は、必ず子供達との信頼感を生み、それがやがて地域社会とのコミュニケーションへと進化して行くのです。
教師経験者で紙芝居をされて居られる方に提案させて頂きます。
紙芝居イベントなんて、年に数回あれば良い方ですよ。!
ボランティアと云う名の「あそび紙芝居」では、人格は向上しません。
街頭紙芝居道を体感できるのは、生活をかけて、毎日紙芝居を「行(ギョウ)」ずるしかないのです。
21世紀は、資本主義経済は終わり、人格主義経済に転じて行くと、感性論哲学者、芳村恩風師が宣言されていますが、生活の為の職業を通じて、人格を磨く時代に転換して来ると云うことなのです。
プロ街頭紙芝居師こそ、その先兵だと確信して、毎日の私は進化中です。
プロ街頭紙芝居の凄さと、楽しさに挑戦されてはいかがでしょうか。
ご意見のある方は、 06-6353-2957までFAXしてください。

第20話 街頭紙芝居の歴史を感性倫哲学解き、明日につなぐ

金曜日, 5月 20th, 2011

お茶屋あそびと言う社交場。
1801年頃、江戸は隅田川の辺りに、若旦那衆の夜のあそび場が活気づいていた。
それがお茶屋あそびと言う文化であった。

唄や踊りや太鼓、三味線、俳句の会等、お茶屋も活気ついていた。
それは、実に広くて深い巨大な感性の海だった。
感性には、感受性とは異なった求感性があり、その中に働いている平衡作用のエネルギーが、感性の三作用である、調和、合利、統一の各作用を使って、我が日本国だけに何かを創造しようと模索させていた。

そんな中で、若旦那衆は長年のお茶屋あそびで、いつも親身なお世話やサービスを頂いてばかりいた女性達におかえししたいとの思いが強い求感性となり、それが理性を使って、知的感性を出現させた。
知的感性とは、人間だけが持つ「心」のことである。その人間らしい心を無限に命がけで成長させて行くと、一人の人間が持つ60兆個の各細胞の中に存在する3万個の遺伝子の束の中から「知恵」が沸き上がって来る。

その知恵が「指の影絵」を気付かせた。
その気付きを進化させたのが「うつし絵」(風呂フロ)だ。うつし絵とは、小さなガラス板に毛筆で錦絵を画いた種板にローソクの光を通して絵を映す機械だ。幻燈の様に錦絵に光を通して、障子や襖や幕に投影、それを見て喜びあそぶものだ。

室内だけでなく、もっと多くの場所で映したいとの強い意欲が、隅田川に浮かんでいる屋形船へと進出し、一所懸命に取り組んだ。
こんな時から生活を懸けた職業へと進化して行く。

やがて活動拠点は、神社仏閣の縁日に境内に小屋を建てて上演し出した。
この活動は明治の中期まで続いて行った。
しかし、実演者がどんどん増えて来るが、活動場所の縁日は固定されたままで増えない。実演者達は失業だ、生活が出来ない。
そこで、70人位の失業者である実演者達は、必死に考え抜き続けた。
又も、知的感性の中から知恵が湧き出た。
それは、神社仏閣を離れ、街角、路地裏に一人で自由に上演できる、紙人形芝居を生み出した。
上演場所は無数に開拓されて行く。
上演料の代わりに、アメを買ってもらい、生計が支えられるので、たのしくて仕方がない。

しかし、大正時代の後半になると、世界大不況が発生し、その上関東大震災に見舞われ、急激な不況が生まれると、紙人形芝居業者が急増し、路地裏にまで進出した。すると各路地裏で、細々と駄菓子屋をしていた人々は怒って、警察に訴えたので、紙人形芝居業者は廃業へと追い込まれて行った。

「何かを見せて、生活をして行く」この感じ方をベースに、紙人形芝居業者は遺伝子の中から又も知恵を湧出させ、紙に絵を画いて見せる紙芝居に転換して行く。それが、平絵(ヘラエ)と呼ばれる、今現在の街頭紙芝居絵なのだ。
正に昭和5年、その平絵の街頭紙芝居発生を力つけたのは、「黄金バット」キャラクターの出現である。
このキャラクターを用いた平絵紙芝居の物語り絵は、瞬時に子ども達の心をとらえて行った。
人気沸騰し、水アメを売りながらの職業として、東京を中心に全国3万人に急増した。

しかし、昭和13年の支那事変から大東亜戦争への進むにつれ、街頭紙芝居業者も戦地に行かされ、大東亜戦争敗戦の昭和20年8月15日には、1人も紙芝居業者が居なくなっていた。
しかし、敗戦と共に戦地からの帰還兵の中の元紙芝居業者は、飛びついた。しかし、生活のためのアメ売り行商意識が主流で、文化としての価値認識がなかった。
従って、戦後日本の復興が進行し、はなやかに東京オリンピックが開催されるや、紙芝居を廃業し、給料の高い工場勤務に転換して行った。

街頭紙芝居業は衰退の道に突入した。
しかし、今現在、私一人がプロ街頭紙芝居師として生き残って、生活を懸け、命をかけて、時代を試しながら復活に挑戦している。
継続30年、親子2世代、3世代に渡り子ども達に受け継がれ、観に来て、私の街頭紙芝居と生活を支えてくれている。

その原因は、うつし絵の時代の幕末から、紙人形芝居の大正末までの感動的な紙芝居歴史の進化に我が感性が心から感動し、昭和5年からの平絵紙芝居への劇的転換の先人の勇気と心意気に我が命はふるわされたからだ。

絵を「見る、見せる」という実に単純な動作の中に、人間同士のふれあいと大きなコミニュケーションが生まれるのを、深く、重たく、目標高く感じさせられたのは、単なる水アメ売りの行商意識とは異質の「心」、すなわち、生きるたのしさと、生きる勇気を生む日本伝統の文化だと我が感性が心から実感したからだ。
我が求感性は、強力に理性を働かし、知的感性を生み、世界中で日本独自の後世に伝えるべき価値ある文化意識の心を私に感じさせてくれた。

しかし、今現在日本社会は街頭紙芝居を理性的判断でしか理解が及ばず、マイナスに位置づけられてしまった。
今、日本はすべてに与えられ過ぎた。

飽食と大量生産の無駄を人間の「しあわせ」と勘違いし出した。物を大切にし、恩を感じ、感謝する人間の知的感性を失ってしまった結果である。
高学歴社会を盲信していて、理性と感性のバランス感覚を死滅させているのに気付かないのだ。

感性とは、38億年前、生命の発生のアメーバの時代から、人類が先天的に与えられているものであり、理性とは後天的に自分が生まれてから言葉を覚え、言葉と言葉をつなぎ合わせて出来る観念なのだ。人間はより良く生きる為には、感性を主役として理性を脇役的に使いこなして行くことが大切だ。
理性は、用い方の時間空間次第で善にも悪にも変身する、実に不完全な能力で、一度認識すると固定してしまい変化を認めない。
一種のロボット能力で、結果は嘘、間違いになってもそのことが分からず、そのまま突進するだけだ。

今、学校教育は、理性を盲信し理性過剰の欠点に目を向ける能力も失い、ブロイラー飼育の様に、無理矢理に心の欲しないものを教え過ぎだ。
すべての子供達は心から湧き出て来る自分の欲望や夢に向かって学びたがっている。

夢とは子供達が成長する為の命から湧いて来る欲求だ。
その欲求の実現教育こそ、子供達の命のよろこびであり、その成長が天から各人に与えられた、天分の発見へとつながり、自他共に思いやりの心を持ち、感謝出来る人生を創造することが出来るのだ。
自ら感じたことを中心に、理性を用いて学ばせる学校システム、6、3、3、制度の大改革を叫ぶ教師こそ、時代の要求なのだが、誰一人手を上げる人が居ない。

今、感性論教育として、教えが育を超えてはならないと力説されているが、文部行政にたずさわる人々は真剣に感性学を学ぶべきだ。
そして、教と育との中心点「零」の位置に反応出来る感性力、すなわち調和作用を理解し、シンメトリーの法則を活用し、教と育の間を二辺往来しながら時代と共にたえず中心点を感じる感性論的バランス教育を創造すべきだ。
そして60数年に渡る戦後教育の中で、街頭紙芝居衰退の一つの原因は、唯物思想を信じる偏向教師達の挙動であった。
何でも平等、権利の主張、己の義務を考えなく、国家意識も持たない日教祖的教育思想と、それに近似の共産思想かぶれの偏向作家、教師達と出版社が手を組んで制作し、室内で教室授業の延長感覚で活用した粗末な絵の教育紙芝居の拡大だ。
学校教育の補いとして、日本中の幼稚園や学校、図書館、市町村図書館等に税金で購入させ、拡大して行った。

その反動として、街頭紙芝居が非難の対象とされる。食品が不潔だ。絵の色が強烈過ぎる、ストーリーが邪悪だとか、そして子供達のあそびが「悪」であるとの風潮だ。
これに同調的なPTA、地方図書館職員達の無責任なボランティア感覚での教育紙芝居上演が、街頭紙芝居を圧迫して行った。
非難の本質は、教育という立場から見ると、街頭紙芝居は街頭で子供達のお金を取り上げている卑しい仕事だとの認識があった。
それが世間の蔑視を増長して行く。
その勘違いに反論する人はあまり居なかった。

大元の責任者「絵元」(えもと)さん自身が世間の目を恐れていたのだ。日本独自の文化としての哲学を持って居なかった。実に街頭紙芝居の心を大元の責任者「絵元」さん自身が分からなかったのだ。
街頭紙芝居師の売り上げのピンハネ?で金もうけが目的だったのだから…。
街頭紙芝居師は自分よりも弱い立場の子供達からお金を頂き、生活をしなくてはなりませんから、子供が納得し、よろこんでくれる為の心づかいが大切です。

「大人の知識を捨て、子供の思いに合わせてやる、そして子供達がよろこんでくれる姿を実感し、その後から初めて自分がよろこぶ」、この心づかいが大切だ。
この心こそ21世紀の世界中に広げねばならない街頭紙芝居道の心であり、日本国独自の感性論教育の要諦だ。

街頭紙芝居師は、毎日定刻に2~3ヶ所「子供だまり」を創造する為に路地裏や、街頭を拍子木を打ちながら20分位は案内に廻ります。
すると紙芝居舞台の置かれた子供だまり広場にそれぞれの子供達、親達も集まってくる。
初めは誰も居ない子供だまり広場の空き地がだんだんと人数が増えて来、それぞれにコミュニケーションがふくらんで行く。
自分の意志で友達との会話、友達の弟妹、お兄ちゃん、お姉ちゃん達と対話、スキンシップ等々。思い切り自己の思いを展開し、表現出来る広場は感性エネルギーの渦巻きとなって行く。
一人っ子の多い昨今、子供が社会性を体験できる最高の広場であり道場となるのだ。

子供達は学校を含め、家庭までも冷たい理性過剰の環境に置かれているから、暖かい命の環境を求めて、子供だまりに集まり、街頭紙芝居に命を温められてよろこぶのが、子供達の命のバランス感覚だ。
子供達の健康でたくましい成長は、感性と理性のバランスの良い感覚によるものだ、と教師と親たちは感じるべきだ。
しっかりと人の心、自然の心を感じ、受け止めれる体験学習は脳が完備する10才頃までが特に大切だ。
従って子供達の命の根源にかかわる街頭紙芝居の心は単なる趣味や無責任なボランティア意識、金儲け意識だけで取り組むものではない。

純真な子供達の魂と向き合う為には、生活をかけ命をかけて取り組むべき楽しい職業だ。
昨今の大人達は、そこそこの貯えも持ったので、第二の人生意識を持ち出したがっている。趣味的で気ままな態度だ。
これは、大人の甘えと無責任の裏返しで己の天分への反逆性に気付いていない。
こんな大人は子供の魂を悪化させるだけだ。
我が街頭紙芝居道から感じ、観ると人生は善悪共に内蔵し、生きる一本の竹の様に死ぬまで節をつくりながら成長し続ける一つの感性人生と自覚すべきだ。

未来の歴史を創る子供達の自由自在に成長する魂と接する街頭紙芝居師は、子供達との交流の中で己も成長させられる神聖な職業と認識すべきだ。
従って街頭紙芝居に関わる人の安易な取り組みは遠慮して頂きたい。プロ街頭紙芝居師を志すには、命をかけた決断が大切だ。
命をかけるとは、心の底から沸き上がって来る強い欲求に対して、一度決断したら、後からどんなに良い現象、悪い現象が生じてもブレない強い精神力だ。
その為にも感性が理性を使って、究極のシュミレーションが必要だ。
このように決断出来た人こそ、晴耕雨読の自然同化の生活感で、継続力が生まれて、街頭紙芝居道の扉が開かれ、進化発展して行くのだ。