Archive for the ‘プロの紙芝居師’ Category

第19話 東日本大震災に思う。

土曜日, 4月 16th, 2011

突然の東日本大震災。心からお見舞い申し上げます。
そして、青森、岩手、宮城、福島各県の全ての被災者の皆様、又紙芝居活動中に亡くなられた方々の御冥福を祈ります。
今、地球では、百年、千年、万年単位で起こる大変化が今年含め来年にかけて一挙に起きるのではないでしょうか。
「人知をつくす」と言いますが、今こそ主義主張など投げ捨てて国防同様に災害対策に命がけで向かって行く時です。
自衛隊の人々、警察官、地域の消防団、原発会社社員の皆様の活動には頭が下がります。
しかし、原発会社の役員や原発に関係されたキタナイ髭を付けた学者と名乗る人々の他人事の様な発言には怒りを覚えます。
今、この災害を傍観する人々は我が日本民族を含めて人類その裏切り者と自戒すべきです。さあ皆さん、心を合わせてたとえ一円也でも長く巾の広い募金活動に参加しましょう。今、苦難の中で必死で耐えて居られる人々に「ぬくもり」の毛布を着させてあげましょう。「始まりの一歩」を踏み出して下さい。
六月第三・第四日曜日の街頭紙芝居講座の会費はすべて復興基金に渡します。
私も七年ぶりに皆様方の命の支えになれる街頭紙芝居絵の製作構想に没頭中です。夏休み頃の七月には、災害地にに行き新作のプロ街頭紙芝居で被災地の人々を勇気付けたいと思っております。

第18話 中学校での「日本文化体験」授業

金曜日, 3月 4th, 2011

2月10日、大阪天王寺区の某中学校で、全学年の「日本文化体験」授業が行われました。
私は2年2組の教室で「「街頭紙芝居の歴史と演じ方について」の題で95分間受け持たせて頂きました。

実はこの地区の上汐公園では、30年間に渡り、街頭紙芝居を実演し続けているので、(実は、30年続いている広場は、我が大阪府下に6ヶ所の広場をつくっています)親子3代に渡る体験者も多く、当日その体験者の顔見知りの生徒も含まれているのです。

1月30日(日)毎年行っている、新春プロ街頭紙芝居師養成講座は、30代から80代までの大人が対象でしたが、中学生達の方が吸収が早いと言う感じを受けました。
この地域は、30年に渡る街頭紙芝居の波動が中学生達の細胞にインプットされていたからでしょうか?。
これからの若い人の職業も老人、幼児関係の仕事が多くなる時代の流れに、街頭紙芝居道を追求している本当の紙芝居絵とプロの演じ方を体験しておくと、本来の職場に活用された時、過去の体験を通じ、本当の紙芝居が復活する要素が大きいと感じさせられました。

街頭紙芝居師の実演は、街頭の自然環境に負けない紙芝居画法のある、高価値な絵を(手画き)使用しているのです。
印刷絵ではなく、力強い、心に訴える絵です。だから毎日街頭紙芝居をしていても、親子3代に渡り長年月観て頂いて来た訳です。

又、絵本の読み聞かせや、下手な落語や漫才師達のパフォーマンスは不用で、見る側の相手に合わせた絵の使用と語り方が大切で、無理な声色は不用です。
又、紙芝居の歴史は200年も昔に、世界で日本国だけに発生した文化で、インドにも中国にもありません。

「うつし絵」から「紙人形芝居」に変化し、現在の「平絵(ヒラエ)」に変化したのが、昭和5年です。
この時期に発生したのが、「黄金バット」のキャラクターなのです。
一種の出世魚の様な、縁起の良い、日本独自の文化だと話し出すと、実に真剣に身を乗り出して聞いてくれました。

実演の練習については、3人一組として机を並べ変えさせ、60年前の君達のおじいさん、おばあさんが子供時代に街頭広場で見ていた力強い文化財的マンガ絵10枚、一話もの一巻ずつを与え、3回以上輪読させ、練習の後、教室の前面に設置された、プロ用の紙芝居舞台を用いて、実演発表させました。練習して直ぐに実演するのだから真剣だ。はずかしさを抑えて、一生懸命さが伝わる。しかし、今の中学生も街頭での群れ遊びの体験不足で、基本的に大きな声を出す事が苦手の様で、語りにリズムが生まれないのだ。
塾、学校と教わる勉強だけの時間に追われているので、感性力が退化して来ている様だ。

そこで、夢を持っている生徒数を調べると、全体の30%だった。

少なすぎる!!

夢は群れの中の体験不足では生まれにくいものなのだ。

今、教育は狂っていると言うのが、街頭紙芝居道から湧き上がる感覚だ。
教育機関は、倒産会社の様なもので、問題意識が無さ過ぎる。
提案力がなく、従って改革意欲も生まれない。
いわゆるプロ意識が無いので、無責任なのだ。
時代と共に、世界が進化し、変化して来ているのに、教育だけが停滞している。
先ずシステムを転換させるべきだ。
その上で、この混乱の時代こそ、「恩」を体感させる教育の充実を計るべきではないか?

街頭紙芝居道から叫ばせて頂きました。

第17話 養成講座お礼と若者達への期待

水曜日, 2月 9th, 2011

新春のプロ街頭紙芝居講座を、1月30日、2月6日の各日曜日に開催し、予想外に楽しく終了してうれしかったです。
このコーナーの呼びかけもあり、関東方面からの参加者が5名あり、しかも、参加下さった80才の方が、「演じ方」を学んだだけで、直ぐに地元の老人ホームで実演する為、日本一部しかない「ジョン万次郎漂流記」の複製街頭紙芝居絵三巻を購入されて帰られました。
又、現役の教師3名、元教師58才はプロを目的に来場されました。
会社役員や本物の紙芝居を知りたいとの意欲的な男女の参加が増えて来て、ありがとうございました。
又、読売、朝日の二十歳代の記者の取材もあり、若い人々の感性記事に期待感一杯です。

今回来られなかった人、又、もっと深く学びたい、人の為にも次回のセミナー日を発表します。
同じ場所で、6月19日、6月26日(各日曜日)の2日間実施します。

街頭紙芝居には、不思議な現象があります。
「習ったら直ぐ実行」です。100%勉強した人は、ほとんど実行しません。
3割の学びで十分実行出来ます。感動、感性が消えない内に実行に移しますと、実にスムーズに楽しく事が進みます。
今、街頭紙芝居師の行動は、一大転換期を迎えている日本民族の進歩に大きく関わって行くと実感して居ります。

2月10日(木)大阪の某中学校2年2組で、街頭紙芝居の歴史と「演じ方」についての授業をしますが、私の大きな楽しみです。
幼稚園、小学校3~4年生まで私の街頭紙芝居で育った子供達との出会いです。

街頭紙芝居文化の伝承者として、若い世代がどんな夢をつくっていれるか、期待感一杯です

プロ街頭紙芝居師養成講座のおさそい

水曜日, 1月 5th, 2011

明けまして

おめでとうございます

昨年は、「ゲゲゲの女房」NHK番組放映中から他局も含めて、室内での「紙芝居」に文字をつけた放映が急増していました。
これも女性の厚化粧?の様に新年と共に消えて行く運命です。

紙芝居の源流は、暑さ、寒さを乗り越えて、毎日一所懸命演じて行く街頭紙芝居です。
今、日本中が望んでいるのは、私が名付けた「プロ街頭紙芝居師」という実生活をかけた職業街頭紙芝居師の誕生なのです。プロ街頭紙芝居師とは、ピエロでも、タレントでもありません。

子供に対する責任感と健康な常識と友情を持ったオッチャンの職業なのです。
戦前、戦後の日本には、8万人ものプロ街頭紙芝居師さんが居られましたが、今現在日本で残って生活をかけて活動しているのは、私一人になって居ります。毎日、街頭広場で2ヶ所、一週間12ヶ所、1ヶ月50ヶ所、年間600回以上を上演し続けるのがプロなのです。

それは、子供達が成長し、親となり、二代、三代に渡っても見に来てくれるこの文化は、子供達の心身の成長過程を支え、己も生かされて行く、尊い日本独自の文化なのです。

この真実の街頭紙芝居文化を再興し、職業として実践指導とお世話が出来るのは30年間に渡り継続研究して来た、私一人しか居りません。

貴方は、己の命を何の為に使うのか

己の天分を極めたい意欲のある人

1月30日、2月6日、街頭紙芝居のセミナーに参加しませんか。

「同行者」としてお迎えいたします。

関東方面の方も是非ご参加下さい。

第16話 街頭紙芝居師の問題意識について

金曜日, 11月 19th, 2010

問題意識とは、自分で選んだ大切な仕事や、社会に対して多くの疑問や、かくあるべしとの意識が忽然と湧き上がってくる情念のことです。

この情念をいかに素早く、夢中になっ具体化させるか、その行動エネルギーが己の天分を知る最大の武器となっております。
吉田松陰は、「かくすれば かくなることと 知りつつも やむにやまれぬ 大和魂」と歌われながら、徳川幕府に逆らい、我が命を奪われていかれましたが、これこそ損得を超えた次元で選んで決断した問題意識を天分に、そして天命へと昇華させた行動結果ではないでしょうか。
我が地球に70億近い人類が生存していますが、同じ顔形の人は誰も居ないと言われていますが、天分も一人一人異なった姿で天から授かっている役割と才能だと感じております。
天分を感じた時、損得の意識が消え、森羅万象すべてが前向きに美しくかがやき、命をもかける決断が生まれるのです。
実はこの問題意識は、プロ意識だと私は思っております。
プロとは己の限界に絶えず挑戦し続け、命をもかける情念ではないでしょうか。
これこそ、一芸を極める行為でもあります。
一芸を極めると、万芸に通ずるとも言われています。
それでは、我が街頭紙芝居師のプロとは何か。

一、街頭紙芝居画法のある絵を持つこと。(この努力は並みでは出来ない。)
一、同じ広場で同じ絵は3年間観せないこと。(多数の絵を持たなくてはならない。)
一、降雨、降雪以外は毎日、街頭上演すべし。
一、1週間に12ヶ所以上、1ヶ月50回、1年間600回以上を実演すること。
一、最低、15万以上の生活費を得る努力をすること。
一、拍子木を打ちながら、20分前後、街頭路地裏を廻りながら人々とのコミュニケーションを図ること。

以上のすべてを実行・実現させるならば、自ずと天分、天命への道につながり、街頭紙芝居道へとつながっていきます。
親子2世代、3世代へと子供達に守られ生かされ、続けられるのです。
子供を主役に大人達も街頭紙芝居に同化させつつ、森羅万象に感謝!感謝!

第15話 群れ遊び

水曜日, 10月 27th, 2010

今年の異状気象には、毎日街頭広場で紙芝居を実演するプロ紙芝居師の人生には、実に深くて大きい試練であった。
35℃~36℃なら何とか体が耐えられるが、37℃~38℃となると体が痙攣するのだ。
その上に紙芝居広場に人っ子一人集まらない。広場が炎暑で燃えている。それでも一日中、誰か来るのを待ち続けるのだ。
第三者には馬鹿な行為に見えるだろうが、俺の五体に秘めたプロ意識なのだ。
素人のボランティア紙芝居師などでは体験出来ない行為だと思う。この炎暑の最中に、たった一人でも誰か見に来てくれるだろうと、その「誰か」に心を集中させると心がときめき出す。
俺には、己で創り出したときめきこそ本場である、と信じるくせがある。

午後3時半から待つこと90分、少し風が吹いて来た時、来たのが一台の自転車に子供2人を乗せた三十代の長身のお母さんである。
俺の単車の紙芝居舞台の横に来て、自転車に乗ったまま、うさぎセンベとミルクセンベを注文した。
ゆっくりと作ってそれぞれ二人の子供に手渡した。
子供は3才くらいの男の子と4才くらいの女の子である。
黙ったまま受け取って、食べ始めた。

そこで子供に向かって『ありがとう!』と言って!」
子供は返事をしないままだ。お母さんも少しもじもじした仕草があったが、そのままペダルを踏んで帰って行った。
炎暑の中に90分待って、やっと出会った3人の親子の後ろ姿に、実に違和感があった。
しかしその後、その親子は1週間に1回、必ず観に来てくれる様になった。相変わらず自転車に子供を乗せたままである。

10月7日は第一木曜日である。久しぶりに秋風が吹いて気持ちが良い午後4時過ぎには、子供や親達も含めて30人は集まって、雑談しながら街頭紙芝居の開演時間を待っている。
先週の親子も見に来て、3人とも自転車に乗ったままだ。
「お母さん!子供は子供同士の群れ遊びの中に成長し“かしこく”なるんだよ!
自転車から子供を下ろして群れの中へ入れなさい!」

それでも、返事をしないままそのお母さんが不安そうな仕草で後ろの4才の女の子を地面に下ろした。
3才の男の子はハンドル前のかごに乗せたままだ。
「お母さん男の子を地面に下ろして遊ばしてやりなさい!。
男の子は小さい時期から冒険をさせないと男らしさが生まれないよ!」

そのお母さんの表情が少し動くが、一向に言葉が出ないのだ。
黙ったままやっと男の子供を自転車から下ろしたが、二人とも親のそばから放さないのだ。

そして、次の週の15日、やはりその親子が自転車でやって来た。
そのお母さんは遠慮深そうな一面も感じられるが、全体として無表情で、自ら話しかけようとしないのだ。
俺の紙芝居舞台の横に、黙って電信柱の様に立っている。

しかし今度は二人の子供の手を放している。
そこで俺は腰をかがめて、「うさぎのセンベを買って!」と子供達に渡しかけると、そのお母さんはあわてて財布をまさぐり、百円玉を取り出して俺に渡そうとするので、「そのお金は子供に渡して!」と言って受け取らない。どぎまぎしながらようやく4才の女の子に渡した。
4才の女児は、お母さんと俺とのやりとりをすっかり分かっていたので、素早く5~6歩、俺の前に来て、「うさぎのお菓子2つ。」と百円玉を握った手を広げて、俺に差し出してきた。子供の方が紙芝居広場の雰囲気を素早く同化しているのだ。
渡すと、「ありがとう。」と自ら返事をするのだ。俺が以前に教えた言葉が、お菓子を買った自分の行為の中に無意識に生かされていると感じた。
お母さん!
男の子も同年齢の子供の中に入れなさい!」


20mくらい先の広場には、2~3才児が5~6人群れている。
その群れの近くまで母子を行かせた。
母親はどぎまぎして相変わらずぎこちない。見ているとその男の子供は母親を置き去りに急発進だ。
すぐに群れの仲間入りだ。
すると、幼児たちの群れは急に走り出した。
同じくその男の子も、群れの最後尾について走り出す。頭が大きく太り気味で、年齢的には大柄なのに、走った経験もないのかすぐに大きい頭からマリのように転んでしまう。
母親はオロオロしながら、心配で仕方ないのだ。しかし男の子供はまた起きあがり、みんなに追いつこうと一生懸命だ。
「お母さん!動いたらアカン!
公園で子供が転んで、死んだ子は誰もいない!
疲れたら帰ってくるから、それまで見守るだけで良いのですよ!」

子供は実に群れ遊びの中から知恵が生まれ、自ら生きる力を身につけていくのだ。
この一件があってから、母親の表情がにこやかになってきた。
周りの来園の親たちとも言葉は少ないが、相づちを打つ様子が多くなってきた。
小学校2~3年までは塾など不要だ。
この母親など、群れて遊ぶ大切さを知らぬまま大人になったようだ。
俺は30年間、街頭紙芝居をやってきて、幼少時の塾や勉強なんて、子供の将来に向かって価値はあまり認めたくない。
自力で生きて行くためのコミュニケーション力が生まれるはずがないのだから。
群生の力と価値を、文部省も命がけで研究して、日本民族の将来を明示すべきではないかと、心から願うばかりだ。

第14話 社会人の義務

水曜日, 9月 15th, 2010

今年9月13日まで我が近畿地方では、連続35℃以上の炎暑が終わり、ほっとしているのは、広場に遊び出した子供達の表情である。

炎天下での街頭紙芝居は、6月下旬から3ヶ月も続く灼熱地獄だった。公園が燃えているのだ。熱中症などの心配もあり、一人の子供も公園に集まらない日があった。

朝晩秋風をともない、気温が2~3℃下がっただけなのに、実に敏感に反応するのが子供達である。

30年も続けて出演している北区の鶴満寺公園では、1~2年生女児が元気一杯だ。
緑陰の影の濃い公園の大地の広場に、本能にかき立てられ、家から思い切り飛び出して来た感じだ。

下校の午後4時半頃がピークで、公園一杯に動き廻る姿を見るのは、世直しが生じた位いに実にたのもしいものだ。
藤棚の緑陰で単車の紙芝居舞台をセッティングして、さあ~お菓子売りからスタートだ。

元気良く拍子木を打つと、20人位いの子供達の行列が出来る。6月から熱波の3ヶ月間、一度も公園に来なかったなつかしい1年生の女児の顔も見える。

時々来園していたPTAのお母さん方も5~6人集まり、それぞれ談笑されている。
やがて紙芝居の上演が終わり、子供達は三三五五友達を選び公園の中央へともどって行く。
メインはやはり、ドッチボール遊びだ。一度で多人数で遊べるのが良い。
すべり台中心にたわむれ合う群や、ブランコをするグループ。
広い公園が40人前後の子供達にすみからすみまで活用し生かされている。
公園が久し振りにに頬笑んでいるのだ。

ところが急にドッチボール組を中心に子供の群がくずれ出した。
やがて、パッタリと止まってしまう。
周辺のブランコ組やすべり台組もそわそわし出した。

やがて、2年生の女児二人が
「オッチャン助けて!。あの人ボールを取り上げて、追いかけるんや!!」

見ると精神障害の16才男児がいつの間にか来園していて、1~2年生のドッチボールを奪いだしたのだ。
ボールを渡さないと、その子を追いかける。怖いので逃げ回り、楽しかった群遊びが出来ないのだ。

PTAのお母さん達は見て見ぬ振りをして談笑して、何もアクションを起こさない。
仕方がない。そこで私の出番だ。
藤棚の下から飛び出して行く。

「低学年の遊びを邪魔してはダメだよ。ボールを返してやりなさい!。」
と普通に言っても従わない。取り返そうとしても、力一杯抱きしめていて、放さない。
相手の迷惑が分からないのだ。

そこで大声で怒鳴って、ひるんだすきにボールを取り返して子供達に渡した。
すると、その子を追いかけて行く。小学生は逃げ回る。
言葉で言っても本人は分からないのだ。
又も大声でビックリさせるしかないのだ。

すると反撃して来るので、公園から引きずり出して、彼の家に強制送還させたのである。
すると、見て見ぬ振りをしているPTAのオバチャン達の中から30台のPTAのオバチャンが

「おっちゃん、あの子は障害児なんだから、そっとして置かんといかんねん」
と言って来るのだ。
自分の子供がドッチボールの仲間に居なかった関係もあり、あまりにも身勝手だ。

「おばちゃん!。彼は凶暴性があるんだぜ!。
昨年は棒を持って、1年生を追いかけたこともあるんだぜ!。
怪我させた後では手遅れだ!。
怖い大人がいると感じさせないと、あの児は理解する能力がないんだ!。」
さすがに、PTAのオバチャンもだまってしまった。

家族も大変だろうが、我々社会人も、しては駄目な事は、駄目と感じさせ、指導する義務があるのだ。

学校内のイジメなども学校教師達も見て見ぬ振りをして、殺人事件まで起こしていた事を皆んな忘れては駄目だ。
事件はすべて前兆がある。
我が日本社会では、感じる力が良きにつき、悪しきにつき欠落している。

すべて文部行政の欠陥ではないか?。
勉強勉強で、理性能力が肥大化し、感性力が失われ行くことの現状を、我々は知るべきだ。

こんなPTAさん達のやりとりを見ていた子供達は、群れ遊びをあきらめ、早めに帰宅してしまった。

残された公園が悲しんでいるのが、PTAのおばちゃん達には絶対分からないだろうが、俺には痛感できるのだ。

第13話 TVメディア

土曜日, 9月 11th, 2010

9月3日 午後6時15分から毎日放送 Voiceで「街で子供を育てる、唯一のプロ街頭紙芝居師」と題して、炎天の中、我が街頭紙芝居活動が、10分間放映されました。
プロ街頭紙芝居人生50年で、新聞、雑誌、テレビなど80回以上の取材がありますが、今回の取材には驚きです。

若くて太り気味の大柄のディレクターで緊迫感がないのです。
実に信頼のかけらも感じられなく、理屈っぽく、時間が過ぎる程、怒りさえ色を出す。

取材スタートは、今年の6月27日(日)、街頭紙芝居のプロ養成講座の取材からでした。
2時間のセミナー全部が取材され、「この続きはディレクターの方から連絡するまで待って下さい。」との事でその場は別れたのです。

こちらは、交通事故で通院。また、喉のポリープで発声に苦しみながらの取材協力なので、気になっておりましたが、一ヶ月過ぎてテレビ局に電話しますと、やっと本人と連絡が付きましたが、又も、当方から連絡するまで待っていてくれとのやる気のない返事。

やる気があるんか!!
と質問しますと、
あつますって・・・。
との返事。

それならば、もっと真剣に俺の街頭紙芝居を研究してから来い!と強く言ってから電話を切ったのです。

そして、次の7月29日。岩手県久慈市まで、プロ街頭紙芝居養成講座に出張しました。
8月に入れば、お盆の帰郷も含め、誰でも忙しいもので、取材のことも思い切り忘れて、我が諸事に没頭して行きました。

3週間後の8月23日、突然電話で、明日から取材に入りたいとの連絡です。
すっかり無視して忘れてしまっていたので、面倒くさいとの意識が強く、嫁に返事をさせる始末でした。

次回、顔を合わせた瞬間、突然相手ディレクターに質問です。

君!! 文系出じゃないなぁ!
しぶしぶ、
そうです!。理系です!
やっぱりなぁ。君の取材がにぶいんだ!それにしても理系出身なのだから、計画的にテキパキと取材し~な~!

ると彼は
僕のやり方です!
相手に嫌悪感を覚えさす様な取材手法はタブーだ!

そこで、私が一息吸って、冷静になり、彼をシュミレーションして見ました。
彼は、放送局の身分を保障された本社員です。
1.下請会社員とは異なり、仕事に余裕がある、
2.放送日まで大巾に日付がある。
3.今必要取材ではなく、ちょっとつばをつけて置くだけ。

等々で、要は、不必要になれば、その時流してしまおうとの魂胆が見えて来て、実にエエ加減な倒産会社社員の発想だと分かって来ました。

我が毎日の街頭紙芝居で、子供達にこんな態度を見せると、次回からは来なくなります。
こんな社員の会社はいつかは倒産でしょう。

9月3日に放送になると私に言い出したのは、一週間前でした。
残り日5日位になると、急にあわて出して来ました。

場面を3つも4つも撮りたいと言い出しますが、100年に1度の猛夏の午後3時の炎天中、長時間、炎天の街頭に立つには、体力的にも、気分的にも協力心が湧かないのです。

さて、放送がどう受け止められたのか、大変心配で、私的には不満一杯の映像です。
内幕を知らない一般の皆様皆様方は冷静に観て下されば幸いです。

それにしても、炎天の中で、無謀に撮り過ぎて期待されながら放送されなかった地域の子供や大人達に、

「ごめんなさい」

と局に代わって私が頭を下げるばかりです。

第12話 転送された気になる手紙

水曜日, 8月 25th, 2010

第11話まで書いてきて、すぅ~と蘇って来るのは、「もえか」という今年19歳になる女の子のパソコン日記だ。
実は、昨年4月下旬、東京の(株)フリーズ社の渡我部美香さんからファックスで、我が家に送信されたものだ。

美香さんは、長身だが実に物静かで、女性らしさを内蔵した感性人間で、平成21年2月頃、ザ・カミシバイの俺の本を国会の図書館で読まれ、直ぐに寒風の大阪に来られ、毎日の街頭紙芝居実演現場を見学・取材されました。

そして、感動の秘話 -少女と紙芝居師の命の友情- としてフジTV「奇跡体験!アンビリーバボー」の全国放送につないで下さった恩人なのだ。

人間はほんとうに縁によって、生かされているのだが、「もえか」のパソコン日記も宇宙の大きな縁に依るものでしょう。

この日記も、テレビ放映が終わった直後に感動、直ぐに取りかかった様で、気持ちが伝わって来ます。

紙芝居のおっちゃん  April 23 thu 2009.

今日のアンビリーバボーで特集されていた紙芝居のおっちゃん。
実は小さい頃、凄く凄くお世話になりました。

私が大阪に転校してきて、お友達が出来始め時にね、
どうして苗字が変わったのってよく聞かれたの。

そうゆう時って離婚が恥ずかしいとも思っていなかったから、
「ママが再婚してん」
っていっつも隠しもせずにいたの。

公園でお友達と遊んでいるときに、初めておっちゃんとあった。
おっちゃんは毎週火曜日にきてた。

小学2年生のときなんだけど、その時友達がおっちゃんに、
「もえかちゃんって、お父さん2人もいるんだよ。変だよね」
って笑いながら言ってて、
私は、へんだと言われたことに対して、凄くむかついたの。

だから、その日は何も言わずに帰って、
次の火曜日に紙芝居だけ見に1人で公園に行った。

2回目なのにね、おっちゃん私の名前覚えててくれてて、
「もえかはお父さんが2人おるなんてなぁ、
2人のお父さんに愛されるなんて幸せなことやしな、
ちっとも変な事ちがうねんで~」
そういって、ウサギくれたよ。

ウサギっていうのは、私たちの間での呼び名だったけど、
水あめをせんべいではさんで、ソースで目を書いて耳をつけたものなの。

ねぇおっちゃん、私本当に嬉しかったよ。

それから火曜日の公園に、小学6年生くらいまでずっと行ってた。
中学になって、いろいろあって外に出る事も少なくなっていかなくなったけど、
いつも道で会った時でも「もえか笑ってるか~?」って言ってくれるおっちゃんが、
本当に暖かかったんだよ。

テレビでみてね、幸せそうなおっちゃんを見れて、本当に嬉しかった。

電話で教えてくれた、おねえちゃんに感謝しなきゃ。
紙芝居ってゆうたら、おっちゃんだから。
また型抜きとか、水あめとかテンカス(煎餅)とか食べたいな。

ほんとうになつかしい、10年前の思い出の「もえか」からのメッセージだ。
潜在意識の深い底を、リズミカルにかきわける様にうかび上がって来る「もえか」というなつかしく、温かい呼び名。
俺の体の一部の様だ。

来年は20歳の成人式か?可愛くて芯のしっかりした大人に成長してくれよ!

日本で唯一人、プロ現役街頭紙芝居師として、30年間続けていると、70万人の子供と出会っている計算になるが、男子の悪ガキは叱りつけていた記憶が多い公園だったが、女の子には、意外に優しかったんやなぁ~…。

それにしても、「もえか」が紙芝居を見に来てくれていた火曜日の紙芝居実演公園は川崎公園なのだ。
午後3時30分スタートで、5時30分までいて、5時30分から6時30分まで、1km位離れたところの豊崎東公園に移動していたのだ。

川崎公園は昭和55年に紙芝居をスタートさせた時の最初のホームグランド公園なのだ。
「もえか」も含めて、たくさんの思い出の凝縮した公園なのだ。

25年間も続けていたが、時代の流れで、5年前から子供達が急減し、隣の都島区の公園に移動しているが、年に一回の年末の公園餅つき大会には、午前10時から13時まで街頭紙芝居を実演しています。

まだ10年90歳までは紙芝居を実演するつもりですが、この記事を読んだら、現状の「もえか」を知らせて下さい。待ってるよ!!

TEL,FAX 06-6353-2957まで

第11話 100円玉を持った4才女児

火曜日, 8月 17th, 2010

丸顔で大きな目玉に、真っ黒な瞳、ころんころに太った女の児だ。
いつもこの広場での街頭紙芝居の実演は、午後5時には終了していて、お菓子売りの時間帯となり、7~8人の幼児達が行列をつくっている時だ。

行列をくぐり抜けて、いきなり
「オッチャン!」
と叫ぶと当時に、前から全力で太ももに飛びついて来る。
2~3秒しがみついてから、ぱっと飛び降りると、30m位離れた場所にある幼児用のブランコに向かって突進して行く。
本当にエネルギーの固まりだ。
ブランコで2~3分一人遊びをすると、又パッと飛び降り、50m先にある高学年用のブランコに突進していく。
そのブランコに飛び乗ると、一人で漕ぎ出す。
5分位漕いでいたかと思うと、パッと飛び降り、小枝を拾って、地面に何か書きはじめる。

やがて飽きると、中腰のまま、小枝で20m位線を引いて、紙芝居舞台の俺の方に近づいて来ると、やがて小枝を投げ捨て、全力疾走で再び俺の太ももに飛びついて来る。

太ももを下りると小さな手でズボンのポケットをぎこちない手つきでまさぐり続ける。

「オッチャン!!。ウサギアメ」
と言いながら、サッと右手を突き出す。
50円玉のおつりを渡すと、ズボンのポケットに入れるのに戸惑いながら、ようやく入れると、ニコッと笑って大きな目玉で俺の顔を見上げ続け、お菓子づくりを待つ。

お菓子を手渡すと、又も急発進だ。
公園の中央を目指して駆けて行く。5分も過ぎると食べ終わり、又も飛び込んで来て、残りの50円玉を握りしめて、俺の目の前に突き出す。
お菓子を渡すと、サット身をひるがえして、又も公園の中央に突進して行く。

そんな間、お母さんは、無干渉で公園内では、絶対放任なのだ。
30分位、公園で一人遊びをして、5時30分には、お母さんと帰って行く。
帰りには、わざわざ俺のそばに来て、小さな手を力一杯に振りながら、別れの挨拶をして帰って行く。

もう半年間もこのパターンが続いていて、年齢を超えた友情の糸につながれている。