第20話 街頭紙芝居の歴史を感性倫哲学解き、明日につなぐ

5月 20th, 2011

お茶屋あそびと言う社交場。
1801年頃、江戸は隅田川の辺りに、若旦那衆の夜のあそび場が活気づいていた。
それがお茶屋あそびと言う文化であった。

唄や踊りや太鼓、三味線、俳句の会等、お茶屋も活気ついていた。
それは、実に広くて深い巨大な感性の海だった。
感性には、感受性とは異なった求感性があり、その中に働いている平衡作用のエネルギーが、感性の三作用である、調和、合利、統一の各作用を使って、我が日本国だけに何かを創造しようと模索させていた。

そんな中で、若旦那衆は長年のお茶屋あそびで、いつも親身なお世話やサービスを頂いてばかりいた女性達におかえししたいとの思いが強い求感性となり、それが理性を使って、知的感性を出現させた。
知的感性とは、人間だけが持つ「心」のことである。その人間らしい心を無限に命がけで成長させて行くと、一人の人間が持つ60兆個の各細胞の中に存在する3万個の遺伝子の束の中から「知恵」が沸き上がって来る。

その知恵が「指の影絵」を気付かせた。
その気付きを進化させたのが「うつし絵」(風呂フロ)だ。うつし絵とは、小さなガラス板に毛筆で錦絵を画いた種板にローソクの光を通して絵を映す機械だ。幻燈の様に錦絵に光を通して、障子や襖や幕に投影、それを見て喜びあそぶものだ。

室内だけでなく、もっと多くの場所で映したいとの強い意欲が、隅田川に浮かんでいる屋形船へと進出し、一所懸命に取り組んだ。
こんな時から生活を懸けた職業へと進化して行く。

やがて活動拠点は、神社仏閣の縁日に境内に小屋を建てて上演し出した。
この活動は明治の中期まで続いて行った。
しかし、実演者がどんどん増えて来るが、活動場所の縁日は固定されたままで増えない。実演者達は失業だ、生活が出来ない。
そこで、70人位の失業者である実演者達は、必死に考え抜き続けた。
又も、知的感性の中から知恵が湧き出た。
それは、神社仏閣を離れ、街角、路地裏に一人で自由に上演できる、紙人形芝居を生み出した。
上演場所は無数に開拓されて行く。
上演料の代わりに、アメを買ってもらい、生計が支えられるので、たのしくて仕方がない。

しかし、大正時代の後半になると、世界大不況が発生し、その上関東大震災に見舞われ、急激な不況が生まれると、紙人形芝居業者が急増し、路地裏にまで進出した。すると各路地裏で、細々と駄菓子屋をしていた人々は怒って、警察に訴えたので、紙人形芝居業者は廃業へと追い込まれて行った。

「何かを見せて、生活をして行く」この感じ方をベースに、紙人形芝居業者は遺伝子の中から又も知恵を湧出させ、紙に絵を画いて見せる紙芝居に転換して行く。それが、平絵(ヘラエ)と呼ばれる、今現在の街頭紙芝居絵なのだ。
正に昭和5年、その平絵の街頭紙芝居発生を力つけたのは、「黄金バット」キャラクターの出現である。
このキャラクターを用いた平絵紙芝居の物語り絵は、瞬時に子ども達の心をとらえて行った。
人気沸騰し、水アメを売りながらの職業として、東京を中心に全国3万人に急増した。

しかし、昭和13年の支那事変から大東亜戦争への進むにつれ、街頭紙芝居業者も戦地に行かされ、大東亜戦争敗戦の昭和20年8月15日には、1人も紙芝居業者が居なくなっていた。
しかし、敗戦と共に戦地からの帰還兵の中の元紙芝居業者は、飛びついた。しかし、生活のためのアメ売り行商意識が主流で、文化としての価値認識がなかった。
従って、戦後日本の復興が進行し、はなやかに東京オリンピックが開催されるや、紙芝居を廃業し、給料の高い工場勤務に転換して行った。

街頭紙芝居業は衰退の道に突入した。
しかし、今現在、私一人がプロ街頭紙芝居師として生き残って、生活を懸け、命をかけて、時代を試しながら復活に挑戦している。
継続30年、親子2世代、3世代に渡り子ども達に受け継がれ、観に来て、私の街頭紙芝居と生活を支えてくれている。

その原因は、うつし絵の時代の幕末から、紙人形芝居の大正末までの感動的な紙芝居歴史の進化に我が感性が心から感動し、昭和5年からの平絵紙芝居への劇的転換の先人の勇気と心意気に我が命はふるわされたからだ。

絵を「見る、見せる」という実に単純な動作の中に、人間同士のふれあいと大きなコミニュケーションが生まれるのを、深く、重たく、目標高く感じさせられたのは、単なる水アメ売りの行商意識とは異質の「心」、すなわち、生きるたのしさと、生きる勇気を生む日本伝統の文化だと我が感性が心から実感したからだ。
我が求感性は、強力に理性を働かし、知的感性を生み、世界中で日本独自の後世に伝えるべき価値ある文化意識の心を私に感じさせてくれた。

しかし、今現在日本社会は街頭紙芝居を理性的判断でしか理解が及ばず、マイナスに位置づけられてしまった。
今、日本はすべてに与えられ過ぎた。

飽食と大量生産の無駄を人間の「しあわせ」と勘違いし出した。物を大切にし、恩を感じ、感謝する人間の知的感性を失ってしまった結果である。
高学歴社会を盲信していて、理性と感性のバランス感覚を死滅させているのに気付かないのだ。

感性とは、38億年前、生命の発生のアメーバの時代から、人類が先天的に与えられているものであり、理性とは後天的に自分が生まれてから言葉を覚え、言葉と言葉をつなぎ合わせて出来る観念なのだ。人間はより良く生きる為には、感性を主役として理性を脇役的に使いこなして行くことが大切だ。
理性は、用い方の時間空間次第で善にも悪にも変身する、実に不完全な能力で、一度認識すると固定してしまい変化を認めない。
一種のロボット能力で、結果は嘘、間違いになってもそのことが分からず、そのまま突進するだけだ。

今、学校教育は、理性を盲信し理性過剰の欠点に目を向ける能力も失い、ブロイラー飼育の様に、無理矢理に心の欲しないものを教え過ぎだ。
すべての子供達は心から湧き出て来る自分の欲望や夢に向かって学びたがっている。

夢とは子供達が成長する為の命から湧いて来る欲求だ。
その欲求の実現教育こそ、子供達の命のよろこびであり、その成長が天から各人に与えられた、天分の発見へとつながり、自他共に思いやりの心を持ち、感謝出来る人生を創造することが出来るのだ。
自ら感じたことを中心に、理性を用いて学ばせる学校システム、6、3、3、制度の大改革を叫ぶ教師こそ、時代の要求なのだが、誰一人手を上げる人が居ない。

今、感性論教育として、教えが育を超えてはならないと力説されているが、文部行政にたずさわる人々は真剣に感性学を学ぶべきだ。
そして、教と育との中心点「零」の位置に反応出来る感性力、すなわち調和作用を理解し、シンメトリーの法則を活用し、教と育の間を二辺往来しながら時代と共にたえず中心点を感じる感性論的バランス教育を創造すべきだ。
そして60数年に渡る戦後教育の中で、街頭紙芝居衰退の一つの原因は、唯物思想を信じる偏向教師達の挙動であった。
何でも平等、権利の主張、己の義務を考えなく、国家意識も持たない日教祖的教育思想と、それに近似の共産思想かぶれの偏向作家、教師達と出版社が手を組んで制作し、室内で教室授業の延長感覚で活用した粗末な絵の教育紙芝居の拡大だ。
学校教育の補いとして、日本中の幼稚園や学校、図書館、市町村図書館等に税金で購入させ、拡大して行った。

その反動として、街頭紙芝居が非難の対象とされる。食品が不潔だ。絵の色が強烈過ぎる、ストーリーが邪悪だとか、そして子供達のあそびが「悪」であるとの風潮だ。
これに同調的なPTA、地方図書館職員達の無責任なボランティア感覚での教育紙芝居上演が、街頭紙芝居を圧迫して行った。
非難の本質は、教育という立場から見ると、街頭紙芝居は街頭で子供達のお金を取り上げている卑しい仕事だとの認識があった。
それが世間の蔑視を増長して行く。
その勘違いに反論する人はあまり居なかった。

大元の責任者「絵元」(えもと)さん自身が世間の目を恐れていたのだ。日本独自の文化としての哲学を持って居なかった。実に街頭紙芝居の心を大元の責任者「絵元」さん自身が分からなかったのだ。
街頭紙芝居師の売り上げのピンハネ?で金もうけが目的だったのだから…。
街頭紙芝居師は自分よりも弱い立場の子供達からお金を頂き、生活をしなくてはなりませんから、子供が納得し、よろこんでくれる為の心づかいが大切です。

「大人の知識を捨て、子供の思いに合わせてやる、そして子供達がよろこんでくれる姿を実感し、その後から初めて自分がよろこぶ」、この心づかいが大切だ。
この心こそ21世紀の世界中に広げねばならない街頭紙芝居道の心であり、日本国独自の感性論教育の要諦だ。

街頭紙芝居師は、毎日定刻に2~3ヶ所「子供だまり」を創造する為に路地裏や、街頭を拍子木を打ちながら20分位は案内に廻ります。
すると紙芝居舞台の置かれた子供だまり広場にそれぞれの子供達、親達も集まってくる。
初めは誰も居ない子供だまり広場の空き地がだんだんと人数が増えて来、それぞれにコミュニケーションがふくらんで行く。
自分の意志で友達との会話、友達の弟妹、お兄ちゃん、お姉ちゃん達と対話、スキンシップ等々。思い切り自己の思いを展開し、表現出来る広場は感性エネルギーの渦巻きとなって行く。
一人っ子の多い昨今、子供が社会性を体験できる最高の広場であり道場となるのだ。

子供達は学校を含め、家庭までも冷たい理性過剰の環境に置かれているから、暖かい命の環境を求めて、子供だまりに集まり、街頭紙芝居に命を温められてよろこぶのが、子供達の命のバランス感覚だ。
子供達の健康でたくましい成長は、感性と理性のバランスの良い感覚によるものだ、と教師と親たちは感じるべきだ。
しっかりと人の心、自然の心を感じ、受け止めれる体験学習は脳が完備する10才頃までが特に大切だ。
従って子供達の命の根源にかかわる街頭紙芝居の心は単なる趣味や無責任なボランティア意識、金儲け意識だけで取り組むものではない。

純真な子供達の魂と向き合う為には、生活をかけ命をかけて取り組むべき楽しい職業だ。
昨今の大人達は、そこそこの貯えも持ったので、第二の人生意識を持ち出したがっている。趣味的で気ままな態度だ。
これは、大人の甘えと無責任の裏返しで己の天分への反逆性に気付いていない。
こんな大人は子供の魂を悪化させるだけだ。
我が街頭紙芝居道から感じ、観ると人生は善悪共に内蔵し、生きる一本の竹の様に死ぬまで節をつくりながら成長し続ける一つの感性人生と自覚すべきだ。

未来の歴史を創る子供達の自由自在に成長する魂と接する街頭紙芝居師は、子供達との交流の中で己も成長させられる神聖な職業と認識すべきだ。
従って街頭紙芝居に関わる人の安易な取り組みは遠慮して頂きたい。プロ街頭紙芝居師を志すには、命をかけた決断が大切だ。
命をかけるとは、心の底から沸き上がって来る強い欲求に対して、一度決断したら、後からどんなに良い現象、悪い現象が生じてもブレない強い精神力だ。
その為にも感性が理性を使って、究極のシュミレーションが必要だ。
このように決断出来た人こそ、晴耕雨読の自然同化の生活感で、継続力が生まれて、街頭紙芝居道の扉が開かれ、進化発展して行くのだ。

第19話 東日本大震災に思う。

4月 16th, 2011

突然の東日本大震災。心からお見舞い申し上げます。
そして、青森、岩手、宮城、福島各県の全ての被災者の皆様、又紙芝居活動中に亡くなられた方々の御冥福を祈ります。
今、地球では、百年、千年、万年単位で起こる大変化が今年含め来年にかけて一挙に起きるのではないでしょうか。
「人知をつくす」と言いますが、今こそ主義主張など投げ捨てて国防同様に災害対策に命がけで向かって行く時です。
自衛隊の人々、警察官、地域の消防団、原発会社社員の皆様の活動には頭が下がります。
しかし、原発会社の役員や原発に関係されたキタナイ髭を付けた学者と名乗る人々の他人事の様な発言には怒りを覚えます。
今、この災害を傍観する人々は我が日本民族を含めて人類その裏切り者と自戒すべきです。さあ皆さん、心を合わせてたとえ一円也でも長く巾の広い募金活動に参加しましょう。今、苦難の中で必死で耐えて居られる人々に「ぬくもり」の毛布を着させてあげましょう。「始まりの一歩」を踏み出して下さい。
六月第三・第四日曜日の街頭紙芝居講座の会費はすべて復興基金に渡します。
私も七年ぶりに皆様方の命の支えになれる街頭紙芝居絵の製作構想に没頭中です。夏休み頃の七月には、災害地にに行き新作のプロ街頭紙芝居で被災地の人々を勇気付けたいと思っております。

第18話 中学校での「日本文化体験」授業

3月 4th, 2011

2月10日、大阪天王寺区の某中学校で、全学年の「日本文化体験」授業が行われました。
私は2年2組の教室で「「街頭紙芝居の歴史と演じ方について」の題で95分間受け持たせて頂きました。

実はこの地区の上汐公園では、30年間に渡り、街頭紙芝居を実演し続けているので、(実は、30年続いている広場は、我が大阪府下に6ヶ所の広場をつくっています)親子3代に渡る体験者も多く、当日その体験者の顔見知りの生徒も含まれているのです。

1月30日(日)毎年行っている、新春プロ街頭紙芝居師養成講座は、30代から80代までの大人が対象でしたが、中学生達の方が吸収が早いと言う感じを受けました。
この地域は、30年に渡る街頭紙芝居の波動が中学生達の細胞にインプットされていたからでしょうか?。
これからの若い人の職業も老人、幼児関係の仕事が多くなる時代の流れに、街頭紙芝居道を追求している本当の紙芝居絵とプロの演じ方を体験しておくと、本来の職場に活用された時、過去の体験を通じ、本当の紙芝居が復活する要素が大きいと感じさせられました。

街頭紙芝居師の実演は、街頭の自然環境に負けない紙芝居画法のある、高価値な絵を(手画き)使用しているのです。
印刷絵ではなく、力強い、心に訴える絵です。だから毎日街頭紙芝居をしていても、親子3代に渡り長年月観て頂いて来た訳です。

又、絵本の読み聞かせや、下手な落語や漫才師達のパフォーマンスは不用で、見る側の相手に合わせた絵の使用と語り方が大切で、無理な声色は不用です。
又、紙芝居の歴史は200年も昔に、世界で日本国だけに発生した文化で、インドにも中国にもありません。

「うつし絵」から「紙人形芝居」に変化し、現在の「平絵(ヒラエ)」に変化したのが、昭和5年です。
この時期に発生したのが、「黄金バット」のキャラクターなのです。
一種の出世魚の様な、縁起の良い、日本独自の文化だと話し出すと、実に真剣に身を乗り出して聞いてくれました。

実演の練習については、3人一組として机を並べ変えさせ、60年前の君達のおじいさん、おばあさんが子供時代に街頭広場で見ていた力強い文化財的マンガ絵10枚、一話もの一巻ずつを与え、3回以上輪読させ、練習の後、教室の前面に設置された、プロ用の紙芝居舞台を用いて、実演発表させました。練習して直ぐに実演するのだから真剣だ。はずかしさを抑えて、一生懸命さが伝わる。しかし、今の中学生も街頭での群れ遊びの体験不足で、基本的に大きな声を出す事が苦手の様で、語りにリズムが生まれないのだ。
塾、学校と教わる勉強だけの時間に追われているので、感性力が退化して来ている様だ。

そこで、夢を持っている生徒数を調べると、全体の30%だった。

少なすぎる!!

夢は群れの中の体験不足では生まれにくいものなのだ。

今、教育は狂っていると言うのが、街頭紙芝居道から湧き上がる感覚だ。
教育機関は、倒産会社の様なもので、問題意識が無さ過ぎる。
提案力がなく、従って改革意欲も生まれない。
いわゆるプロ意識が無いので、無責任なのだ。
時代と共に、世界が進化し、変化して来ているのに、教育だけが停滞している。
先ずシステムを転換させるべきだ。
その上で、この混乱の時代こそ、「恩」を体感させる教育の充実を計るべきではないか?

街頭紙芝居道から叫ばせて頂きました。

第17話 養成講座お礼と若者達への期待

2月 9th, 2011

新春のプロ街頭紙芝居講座を、1月30日、2月6日の各日曜日に開催し、予想外に楽しく終了してうれしかったです。
このコーナーの呼びかけもあり、関東方面からの参加者が5名あり、しかも、参加下さった80才の方が、「演じ方」を学んだだけで、直ぐに地元の老人ホームで実演する為、日本一部しかない「ジョン万次郎漂流記」の複製街頭紙芝居絵三巻を購入されて帰られました。
又、現役の教師3名、元教師58才はプロを目的に来場されました。
会社役員や本物の紙芝居を知りたいとの意欲的な男女の参加が増えて来て、ありがとうございました。
又、読売、朝日の二十歳代の記者の取材もあり、若い人々の感性記事に期待感一杯です。

今回来られなかった人、又、もっと深く学びたい、人の為にも次回のセミナー日を発表します。
同じ場所で、6月19日、6月26日(各日曜日)の2日間実施します。

街頭紙芝居には、不思議な現象があります。
「習ったら直ぐ実行」です。100%勉強した人は、ほとんど実行しません。
3割の学びで十分実行出来ます。感動、感性が消えない内に実行に移しますと、実にスムーズに楽しく事が進みます。
今、街頭紙芝居師の行動は、一大転換期を迎えている日本民族の進歩に大きく関わって行くと実感して居ります。

2月10日(木)大阪の某中学校2年2組で、街頭紙芝居の歴史と「演じ方」についての授業をしますが、私の大きな楽しみです。
幼稚園、小学校3~4年生まで私の街頭紙芝居で育った子供達との出会いです。

街頭紙芝居文化の伝承者として、若い世代がどんな夢をつくっていれるか、期待感一杯です

プロ街頭紙芝居師養成講座のおさそい

1月 5th, 2011

明けまして

おめでとうございます

昨年は、「ゲゲゲの女房」NHK番組放映中から他局も含めて、室内での「紙芝居」に文字をつけた放映が急増していました。
これも女性の厚化粧?の様に新年と共に消えて行く運命です。

紙芝居の源流は、暑さ、寒さを乗り越えて、毎日一所懸命演じて行く街頭紙芝居です。
今、日本中が望んでいるのは、私が名付けた「プロ街頭紙芝居師」という実生活をかけた職業街頭紙芝居師の誕生なのです。プロ街頭紙芝居師とは、ピエロでも、タレントでもありません。

子供に対する責任感と健康な常識と友情を持ったオッチャンの職業なのです。
戦前、戦後の日本には、8万人ものプロ街頭紙芝居師さんが居られましたが、今現在日本で残って生活をかけて活動しているのは、私一人になって居ります。毎日、街頭広場で2ヶ所、一週間12ヶ所、1ヶ月50ヶ所、年間600回以上を上演し続けるのがプロなのです。

それは、子供達が成長し、親となり、二代、三代に渡っても見に来てくれるこの文化は、子供達の心身の成長過程を支え、己も生かされて行く、尊い日本独自の文化なのです。

この真実の街頭紙芝居文化を再興し、職業として実践指導とお世話が出来るのは30年間に渡り継続研究して来た、私一人しか居りません。

貴方は、己の命を何の為に使うのか

己の天分を極めたい意欲のある人

1月30日、2月6日、街頭紙芝居のセミナーに参加しませんか。

「同行者」としてお迎えいたします。

関東方面の方も是非ご参加下さい。

日本のヘレンケラー

12月 25th, 2010

今回は少し趣向を換えて、私が行った講演を少しブログでご披露いたします。

紙芝居「中村久子の生涯」-勇気と夢を-

皆さんこんにちわ!
私は今、日本で唯一人のプロ街頭紙芝居師で、30年続けて現在に至って居ります。
降雨の日以外は毎日街頭で2~3ヶ所、拍子木で子供達を路地裏の家中から広場まで引き出し、お菓子を販売しながら街頭紙芝居を演じております。

自分が決断し、選んだ仕事に命を懸ける強い気持ちでワクワク感を持って継続していますと、次から次へと問題意識が沸き上がって来ます。
それは、自分の仕事に対して、又その環境に対してとか次々と色んな分野に対しての新鮮な疑問なのです。

私はあまり信心については、分かりませんが、物事を成就させるには、100%の努力ではダメで100%を超える努力をしないと新しい道が開かないと聞いて居ります。実はこの努力こそ問題意識が解決され天分発想へとつながって行くのです。
今や、文部科学省の指導には大学に行っても天分発想の指導はゼロでしょう。

「好きこそものの上手なれ」と古来日本でいわれている言葉ですが、好きになる為の指導が無いのです。
偏差値教育の強制では、問題意識は生まれません。
そして、勉強嫌いを増長させるばかりでしょう。天分とは、天が一人一人に授けたその人だけの能力で、やがて使命、天命へとつながって行くものです。

私の体験では、天分の道はどんなに働いても疲れを知らず、楽しい道です。次から次へと問題が解決されて行き、満足感の中に感謝の心さえ生まれるのです。
街頭紙芝居とは、実は「あそび」なのです。遊びと言いますと、大人の悪い遊びをイメージされますが、子供には大変な間違いです。子供は生まれながらに感受性一杯の自然児ですが、動植物と少し違うのは、天分の中に理性能力も持たされていることです。
この二つの能力は、助け合って生かされてこそ、正常な進歩があるのですが、昨今は理性能力万能で、感じる能力を置き去りです。
こんな育て方で成長した子供は、大人になり自分の欲望実現の為に、他者を踏みつけても平気です。

経済では、格差社会が拡がり、やがて破滅です。10才位までは、多くの遊び、特に広場、山野の野外での友達づくりの遊びが大切で、人と交わる為のルールを覚え、人間同士の微妙な関係を学び、生きるための知恵を身につけさせるのです。
幼少期、人間同士の交わりの極意を感じ取って成長した大人は、理性と感性のバランス感覚の秀でた人となるので、必ず良い社会づくりの一員になるはずです。そしてこの様な人材は、無意識の間に恩を感じる能力も発達していきます。

恩を感じる心根も、実は己の人生を楽しく力一杯の努力も楽々とし、続けられるのではないでしょうか。
相手も喜び、己も喜ぶと運も良くなり、素晴らしいですね。

中村久子さんは、脱疽(ダッソ)という病で、両手、両足を3才の時に切断され、成人して結婚し、2人の女子を授かりますが、国家の補助をすべて断り、自力で育て上げます。その間、夫の死別2回、生別1回、そして最後の4回目の夫に72才の厳寒の2月に死に水を取って戴かれ、人生を完遂されました。
困難辛苦の己の人生の中で、両手両足もないので自殺も出来ぬ我が身をのろい、苦しみ悩み、絶望の中から人に生かされ、天に生かされているとの悟りを得、世に発表したのが、「人生に絶望なし」の宣言でした。

今我々は、恩を感じる感性を失い過ぎです。損得に対する知識が過剰で目先が見え過ぎ、他者に対しての思いやりの感覚を失って居るのです。今、高校の教育費がタダの問題が浮上して居りますが、我々もこの事に不感症になり過ぎです。年間小学校で85万円、中学校で95万円、高校で110万円、大学で250万円、保育園で250万円が支払い授業料以外にこれだけの国税、地方税が今現在も一人の日本人養成の為に支払われている事を、親も学校も大多数が知らないのです。
国税、地方税だから貰って当たり前、貰う権利があるとまで思って、感謝を忘れている人があるんではないでしょうか?

だとすれば、こんな日本人には選挙権は剥奪すべきでしょう。
人間としての価値観、感謝を失っているのですから。それは人間同士、特に近隣社会内の家庭教育結果だと思うのです。

我々は隣近所位はしっかりと挨拶は実行すべきで、些細な感情のもつれと気まずさがあっても早く水に流す努力をすべきでしょう。
自分に子供が居るならば、我が子の学校教育の為にも隣のオッチャン、オバチャンが働いて税金を納めてくれるんだからとの感謝心に敏感になるべきでしょう。憎しみを早く消す努力です。

これこそ、人間の一番大切な学びではないでしょうか。

今や、日本国は恩を感じる心を失って来ています。
我々はイヤなこと、苦しいこと、昔の日本人は艱難辛苦を乗り越えて、今我々に日本を引きつないでくれています。
実はこんな苦しみの中にこそ、天分、天命の発見の糸口となるのです。

今こそ我々は己の自由自在になる境地を掴むべき時代がきているのです。

平成22年11月21日(日)講演。クイズ3枚 中村久子の生涯2巻 所用時間40分

第16話 街頭紙芝居師の問題意識について

11月 19th, 2010

問題意識とは、自分で選んだ大切な仕事や、社会に対して多くの疑問や、かくあるべしとの意識が忽然と湧き上がってくる情念のことです。

この情念をいかに素早く、夢中になっ具体化させるか、その行動エネルギーが己の天分を知る最大の武器となっております。
吉田松陰は、「かくすれば かくなることと 知りつつも やむにやまれぬ 大和魂」と歌われながら、徳川幕府に逆らい、我が命を奪われていかれましたが、これこそ損得を超えた次元で選んで決断した問題意識を天分に、そして天命へと昇華させた行動結果ではないでしょうか。
我が地球に70億近い人類が生存していますが、同じ顔形の人は誰も居ないと言われていますが、天分も一人一人異なった姿で天から授かっている役割と才能だと感じております。
天分を感じた時、損得の意識が消え、森羅万象すべてが前向きに美しくかがやき、命をもかける決断が生まれるのです。
実はこの問題意識は、プロ意識だと私は思っております。
プロとは己の限界に絶えず挑戦し続け、命をもかける情念ではないでしょうか。
これこそ、一芸を極める行為でもあります。
一芸を極めると、万芸に通ずるとも言われています。
それでは、我が街頭紙芝居師のプロとは何か。

一、街頭紙芝居画法のある絵を持つこと。(この努力は並みでは出来ない。)
一、同じ広場で同じ絵は3年間観せないこと。(多数の絵を持たなくてはならない。)
一、降雨、降雪以外は毎日、街頭上演すべし。
一、1週間に12ヶ所以上、1ヶ月50回、1年間600回以上を実演すること。
一、最低、15万以上の生活費を得る努力をすること。
一、拍子木を打ちながら、20分前後、街頭路地裏を廻りながら人々とのコミュニケーションを図ること。

以上のすべてを実行・実現させるならば、自ずと天分、天命への道につながり、街頭紙芝居道へとつながっていきます。
親子2世代、3世代へと子供達に守られ生かされ、続けられるのです。
子供を主役に大人達も街頭紙芝居に同化させつつ、森羅万象に感謝!感謝!

第15話 群れ遊び

10月 27th, 2010

今年の異状気象には、毎日街頭広場で紙芝居を実演するプロ紙芝居師の人生には、実に深くて大きい試練であった。
35℃~36℃なら何とか体が耐えられるが、37℃~38℃となると体が痙攣するのだ。
その上に紙芝居広場に人っ子一人集まらない。広場が炎暑で燃えている。それでも一日中、誰か来るのを待ち続けるのだ。
第三者には馬鹿な行為に見えるだろうが、俺の五体に秘めたプロ意識なのだ。
素人のボランティア紙芝居師などでは体験出来ない行為だと思う。この炎暑の最中に、たった一人でも誰か見に来てくれるだろうと、その「誰か」に心を集中させると心がときめき出す。
俺には、己で創り出したときめきこそ本場である、と信じるくせがある。

午後3時半から待つこと90分、少し風が吹いて来た時、来たのが一台の自転車に子供2人を乗せた三十代の長身のお母さんである。
俺の単車の紙芝居舞台の横に来て、自転車に乗ったまま、うさぎセンベとミルクセンベを注文した。
ゆっくりと作ってそれぞれ二人の子供に手渡した。
子供は3才くらいの男の子と4才くらいの女の子である。
黙ったまま受け取って、食べ始めた。

そこで子供に向かって『ありがとう!』と言って!」
子供は返事をしないままだ。お母さんも少しもじもじした仕草があったが、そのままペダルを踏んで帰って行った。
炎暑の中に90分待って、やっと出会った3人の親子の後ろ姿に、実に違和感があった。
しかしその後、その親子は1週間に1回、必ず観に来てくれる様になった。相変わらず自転車に子供を乗せたままである。

10月7日は第一木曜日である。久しぶりに秋風が吹いて気持ちが良い午後4時過ぎには、子供や親達も含めて30人は集まって、雑談しながら街頭紙芝居の開演時間を待っている。
先週の親子も見に来て、3人とも自転車に乗ったままだ。
「お母さん!子供は子供同士の群れ遊びの中に成長し“かしこく”なるんだよ!
自転車から子供を下ろして群れの中へ入れなさい!」

それでも、返事をしないままそのお母さんが不安そうな仕草で後ろの4才の女の子を地面に下ろした。
3才の男の子はハンドル前のかごに乗せたままだ。
「お母さん男の子を地面に下ろして遊ばしてやりなさい!。
男の子は小さい時期から冒険をさせないと男らしさが生まれないよ!」

そのお母さんの表情が少し動くが、一向に言葉が出ないのだ。
黙ったままやっと男の子供を自転車から下ろしたが、二人とも親のそばから放さないのだ。

そして、次の週の15日、やはりその親子が自転車でやって来た。
そのお母さんは遠慮深そうな一面も感じられるが、全体として無表情で、自ら話しかけようとしないのだ。
俺の紙芝居舞台の横に、黙って電信柱の様に立っている。

しかし今度は二人の子供の手を放している。
そこで俺は腰をかがめて、「うさぎのセンベを買って!」と子供達に渡しかけると、そのお母さんはあわてて財布をまさぐり、百円玉を取り出して俺に渡そうとするので、「そのお金は子供に渡して!」と言って受け取らない。どぎまぎしながらようやく4才の女の子に渡した。
4才の女児は、お母さんと俺とのやりとりをすっかり分かっていたので、素早く5~6歩、俺の前に来て、「うさぎのお菓子2つ。」と百円玉を握った手を広げて、俺に差し出してきた。子供の方が紙芝居広場の雰囲気を素早く同化しているのだ。
渡すと、「ありがとう。」と自ら返事をするのだ。俺が以前に教えた言葉が、お菓子を買った自分の行為の中に無意識に生かされていると感じた。
お母さん!
男の子も同年齢の子供の中に入れなさい!」


20mくらい先の広場には、2~3才児が5~6人群れている。
その群れの近くまで母子を行かせた。
母親はどぎまぎして相変わらずぎこちない。見ているとその男の子供は母親を置き去りに急発進だ。
すぐに群れの仲間入りだ。
すると、幼児たちの群れは急に走り出した。
同じくその男の子も、群れの最後尾について走り出す。頭が大きく太り気味で、年齢的には大柄なのに、走った経験もないのかすぐに大きい頭からマリのように転んでしまう。
母親はオロオロしながら、心配で仕方ないのだ。しかし男の子供はまた起きあがり、みんなに追いつこうと一生懸命だ。
「お母さん!動いたらアカン!
公園で子供が転んで、死んだ子は誰もいない!
疲れたら帰ってくるから、それまで見守るだけで良いのですよ!」

子供は実に群れ遊びの中から知恵が生まれ、自ら生きる力を身につけていくのだ。
この一件があってから、母親の表情がにこやかになってきた。
周りの来園の親たちとも言葉は少ないが、相づちを打つ様子が多くなってきた。
小学校2~3年までは塾など不要だ。
この母親など、群れて遊ぶ大切さを知らぬまま大人になったようだ。
俺は30年間、街頭紙芝居をやってきて、幼少時の塾や勉強なんて、子供の将来に向かって価値はあまり認めたくない。
自力で生きて行くためのコミュニケーション力が生まれるはずがないのだから。
群生の力と価値を、文部省も命がけで研究して、日本民族の将来を明示すべきではないかと、心から願うばかりだ。

第14話 社会人の義務

9月 15th, 2010

今年9月13日まで我が近畿地方では、連続35℃以上の炎暑が終わり、ほっとしているのは、広場に遊び出した子供達の表情である。

炎天下での街頭紙芝居は、6月下旬から3ヶ月も続く灼熱地獄だった。公園が燃えているのだ。熱中症などの心配もあり、一人の子供も公園に集まらない日があった。

朝晩秋風をともない、気温が2~3℃下がっただけなのに、実に敏感に反応するのが子供達である。

30年も続けて出演している北区の鶴満寺公園では、1~2年生女児が元気一杯だ。
緑陰の影の濃い公園の大地の広場に、本能にかき立てられ、家から思い切り飛び出して来た感じだ。

下校の午後4時半頃がピークで、公園一杯に動き廻る姿を見るのは、世直しが生じた位いに実にたのもしいものだ。
藤棚の緑陰で単車の紙芝居舞台をセッティングして、さあ~お菓子売りからスタートだ。

元気良く拍子木を打つと、20人位いの子供達の行列が出来る。6月から熱波の3ヶ月間、一度も公園に来なかったなつかしい1年生の女児の顔も見える。

時々来園していたPTAのお母さん方も5~6人集まり、それぞれ談笑されている。
やがて紙芝居の上演が終わり、子供達は三三五五友達を選び公園の中央へともどって行く。
メインはやはり、ドッチボール遊びだ。一度で多人数で遊べるのが良い。
すべり台中心にたわむれ合う群や、ブランコをするグループ。
広い公園が40人前後の子供達にすみからすみまで活用し生かされている。
公園が久し振りにに頬笑んでいるのだ。

ところが急にドッチボール組を中心に子供の群がくずれ出した。
やがて、パッタリと止まってしまう。
周辺のブランコ組やすべり台組もそわそわし出した。

やがて、2年生の女児二人が
「オッチャン助けて!。あの人ボールを取り上げて、追いかけるんや!!」

見ると精神障害の16才男児がいつの間にか来園していて、1~2年生のドッチボールを奪いだしたのだ。
ボールを渡さないと、その子を追いかける。怖いので逃げ回り、楽しかった群遊びが出来ないのだ。

PTAのお母さん達は見て見ぬ振りをして談笑して、何もアクションを起こさない。
仕方がない。そこで私の出番だ。
藤棚の下から飛び出して行く。

「低学年の遊びを邪魔してはダメだよ。ボールを返してやりなさい!。」
と普通に言っても従わない。取り返そうとしても、力一杯抱きしめていて、放さない。
相手の迷惑が分からないのだ。

そこで大声で怒鳴って、ひるんだすきにボールを取り返して子供達に渡した。
すると、その子を追いかけて行く。小学生は逃げ回る。
言葉で言っても本人は分からないのだ。
又も大声でビックリさせるしかないのだ。

すると反撃して来るので、公園から引きずり出して、彼の家に強制送還させたのである。
すると、見て見ぬ振りをしているPTAのオバチャン達の中から30台のPTAのオバチャンが

「おっちゃん、あの子は障害児なんだから、そっとして置かんといかんねん」
と言って来るのだ。
自分の子供がドッチボールの仲間に居なかった関係もあり、あまりにも身勝手だ。

「おばちゃん!。彼は凶暴性があるんだぜ!。
昨年は棒を持って、1年生を追いかけたこともあるんだぜ!。
怪我させた後では手遅れだ!。
怖い大人がいると感じさせないと、あの児は理解する能力がないんだ!。」
さすがに、PTAのオバチャンもだまってしまった。

家族も大変だろうが、我々社会人も、しては駄目な事は、駄目と感じさせ、指導する義務があるのだ。

学校内のイジメなども学校教師達も見て見ぬ振りをして、殺人事件まで起こしていた事を皆んな忘れては駄目だ。
事件はすべて前兆がある。
我が日本社会では、感じる力が良きにつき、悪しきにつき欠落している。

すべて文部行政の欠陥ではないか?。
勉強勉強で、理性能力が肥大化し、感性力が失われ行くことの現状を、我々は知るべきだ。

こんなPTAさん達のやりとりを見ていた子供達は、群れ遊びをあきらめ、早めに帰宅してしまった。

残された公園が悲しんでいるのが、PTAのおばちゃん達には絶対分からないだろうが、俺には痛感できるのだ。

第13話 TVメディア

9月 11th, 2010

9月3日 午後6時15分から毎日放送 Voiceで「街で子供を育てる、唯一のプロ街頭紙芝居師」と題して、炎天の中、我が街頭紙芝居活動が、10分間放映されました。
プロ街頭紙芝居人生50年で、新聞、雑誌、テレビなど80回以上の取材がありますが、今回の取材には驚きです。

若くて太り気味の大柄のディレクターで緊迫感がないのです。
実に信頼のかけらも感じられなく、理屈っぽく、時間が過ぎる程、怒りさえ色を出す。

取材スタートは、今年の6月27日(日)、街頭紙芝居のプロ養成講座の取材からでした。
2時間のセミナー全部が取材され、「この続きはディレクターの方から連絡するまで待って下さい。」との事でその場は別れたのです。

こちらは、交通事故で通院。また、喉のポリープで発声に苦しみながらの取材協力なので、気になっておりましたが、一ヶ月過ぎてテレビ局に電話しますと、やっと本人と連絡が付きましたが、又も、当方から連絡するまで待っていてくれとのやる気のない返事。

やる気があるんか!!
と質問しますと、
あつますって・・・。
との返事。

それならば、もっと真剣に俺の街頭紙芝居を研究してから来い!と強く言ってから電話を切ったのです。

そして、次の7月29日。岩手県久慈市まで、プロ街頭紙芝居養成講座に出張しました。
8月に入れば、お盆の帰郷も含め、誰でも忙しいもので、取材のことも思い切り忘れて、我が諸事に没頭して行きました。

3週間後の8月23日、突然電話で、明日から取材に入りたいとの連絡です。
すっかり無視して忘れてしまっていたので、面倒くさいとの意識が強く、嫁に返事をさせる始末でした。

次回、顔を合わせた瞬間、突然相手ディレクターに質問です。

君!! 文系出じゃないなぁ!
しぶしぶ、
そうです!。理系です!
やっぱりなぁ。君の取材がにぶいんだ!それにしても理系出身なのだから、計画的にテキパキと取材し~な~!

ると彼は
僕のやり方です!
相手に嫌悪感を覚えさす様な取材手法はタブーだ!

そこで、私が一息吸って、冷静になり、彼をシュミレーションして見ました。
彼は、放送局の身分を保障された本社員です。
1.下請会社員とは異なり、仕事に余裕がある、
2.放送日まで大巾に日付がある。
3.今必要取材ではなく、ちょっとつばをつけて置くだけ。

等々で、要は、不必要になれば、その時流してしまおうとの魂胆が見えて来て、実にエエ加減な倒産会社社員の発想だと分かって来ました。

我が毎日の街頭紙芝居で、子供達にこんな態度を見せると、次回からは来なくなります。
こんな社員の会社はいつかは倒産でしょう。

9月3日に放送になると私に言い出したのは、一週間前でした。
残り日5日位になると、急にあわて出して来ました。

場面を3つも4つも撮りたいと言い出しますが、100年に1度の猛夏の午後3時の炎天中、長時間、炎天の街頭に立つには、体力的にも、気分的にも協力心が湧かないのです。

さて、放送がどう受け止められたのか、大変心配で、私的には不満一杯の映像です。
内幕を知らない一般の皆様皆様方は冷静に観て下されば幸いです。

それにしても、炎天の中で、無謀に撮り過ぎて期待されながら放送されなかった地域の子供や大人達に、

「ごめんなさい」

と局に代わって私が頭を下げるばかりです。