第16話 街頭紙芝居師の問題意識について

11月 19th, 2010

問題意識とは、自分で選んだ大切な仕事や、社会に対して多くの疑問や、かくあるべしとの意識が忽然と湧き上がってくる情念のことです。

この情念をいかに素早く、夢中になっ具体化させるか、その行動エネルギーが己の天分を知る最大の武器となっております。
吉田松陰は、「かくすれば かくなることと 知りつつも やむにやまれぬ 大和魂」と歌われながら、徳川幕府に逆らい、我が命を奪われていかれましたが、これこそ損得を超えた次元で選んで決断した問題意識を天分に、そして天命へと昇華させた行動結果ではないでしょうか。
我が地球に70億近い人類が生存していますが、同じ顔形の人は誰も居ないと言われていますが、天分も一人一人異なった姿で天から授かっている役割と才能だと感じております。
天分を感じた時、損得の意識が消え、森羅万象すべてが前向きに美しくかがやき、命をもかける決断が生まれるのです。
実はこの問題意識は、プロ意識だと私は思っております。
プロとは己の限界に絶えず挑戦し続け、命をもかける情念ではないでしょうか。
これこそ、一芸を極める行為でもあります。
一芸を極めると、万芸に通ずるとも言われています。
それでは、我が街頭紙芝居師のプロとは何か。

一、街頭紙芝居画法のある絵を持つこと。(この努力は並みでは出来ない。)
一、同じ広場で同じ絵は3年間観せないこと。(多数の絵を持たなくてはならない。)
一、降雨、降雪以外は毎日、街頭上演すべし。
一、1週間に12ヶ所以上、1ヶ月50回、1年間600回以上を実演すること。
一、最低、15万以上の生活費を得る努力をすること。
一、拍子木を打ちながら、20分前後、街頭路地裏を廻りながら人々とのコミュニケーションを図ること。

以上のすべてを実行・実現させるならば、自ずと天分、天命への道につながり、街頭紙芝居道へとつながっていきます。
親子2世代、3世代へと子供達に守られ生かされ、続けられるのです。
子供を主役に大人達も街頭紙芝居に同化させつつ、森羅万象に感謝!感謝!

第15話 群れ遊び

10月 27th, 2010

今年の異状気象には、毎日街頭広場で紙芝居を実演するプロ紙芝居師の人生には、実に深くて大きい試練であった。
35℃~36℃なら何とか体が耐えられるが、37℃~38℃となると体が痙攣するのだ。
その上に紙芝居広場に人っ子一人集まらない。広場が炎暑で燃えている。それでも一日中、誰か来るのを待ち続けるのだ。
第三者には馬鹿な行為に見えるだろうが、俺の五体に秘めたプロ意識なのだ。
素人のボランティア紙芝居師などでは体験出来ない行為だと思う。この炎暑の最中に、たった一人でも誰か見に来てくれるだろうと、その「誰か」に心を集中させると心がときめき出す。
俺には、己で創り出したときめきこそ本場である、と信じるくせがある。

午後3時半から待つこと90分、少し風が吹いて来た時、来たのが一台の自転車に子供2人を乗せた三十代の長身のお母さんである。
俺の単車の紙芝居舞台の横に来て、自転車に乗ったまま、うさぎセンベとミルクセンベを注文した。
ゆっくりと作ってそれぞれ二人の子供に手渡した。
子供は3才くらいの男の子と4才くらいの女の子である。
黙ったまま受け取って、食べ始めた。

そこで子供に向かって『ありがとう!』と言って!」
子供は返事をしないままだ。お母さんも少しもじもじした仕草があったが、そのままペダルを踏んで帰って行った。
炎暑の中に90分待って、やっと出会った3人の親子の後ろ姿に、実に違和感があった。
しかしその後、その親子は1週間に1回、必ず観に来てくれる様になった。相変わらず自転車に子供を乗せたままである。

10月7日は第一木曜日である。久しぶりに秋風が吹いて気持ちが良い午後4時過ぎには、子供や親達も含めて30人は集まって、雑談しながら街頭紙芝居の開演時間を待っている。
先週の親子も見に来て、3人とも自転車に乗ったままだ。
「お母さん!子供は子供同士の群れ遊びの中に成長し“かしこく”なるんだよ!
自転車から子供を下ろして群れの中へ入れなさい!」

それでも、返事をしないままそのお母さんが不安そうな仕草で後ろの4才の女の子を地面に下ろした。
3才の男の子はハンドル前のかごに乗せたままだ。
「お母さん男の子を地面に下ろして遊ばしてやりなさい!。
男の子は小さい時期から冒険をさせないと男らしさが生まれないよ!」

そのお母さんの表情が少し動くが、一向に言葉が出ないのだ。
黙ったままやっと男の子供を自転車から下ろしたが、二人とも親のそばから放さないのだ。

そして、次の週の15日、やはりその親子が自転車でやって来た。
そのお母さんは遠慮深そうな一面も感じられるが、全体として無表情で、自ら話しかけようとしないのだ。
俺の紙芝居舞台の横に、黙って電信柱の様に立っている。

しかし今度は二人の子供の手を放している。
そこで俺は腰をかがめて、「うさぎのセンベを買って!」と子供達に渡しかけると、そのお母さんはあわてて財布をまさぐり、百円玉を取り出して俺に渡そうとするので、「そのお金は子供に渡して!」と言って受け取らない。どぎまぎしながらようやく4才の女の子に渡した。
4才の女児は、お母さんと俺とのやりとりをすっかり分かっていたので、素早く5~6歩、俺の前に来て、「うさぎのお菓子2つ。」と百円玉を握った手を広げて、俺に差し出してきた。子供の方が紙芝居広場の雰囲気を素早く同化しているのだ。
渡すと、「ありがとう。」と自ら返事をするのだ。俺が以前に教えた言葉が、お菓子を買った自分の行為の中に無意識に生かされていると感じた。
お母さん!
男の子も同年齢の子供の中に入れなさい!」


20mくらい先の広場には、2~3才児が5~6人群れている。
その群れの近くまで母子を行かせた。
母親はどぎまぎして相変わらずぎこちない。見ているとその男の子供は母親を置き去りに急発進だ。
すぐに群れの仲間入りだ。
すると、幼児たちの群れは急に走り出した。
同じくその男の子も、群れの最後尾について走り出す。頭が大きく太り気味で、年齢的には大柄なのに、走った経験もないのかすぐに大きい頭からマリのように転んでしまう。
母親はオロオロしながら、心配で仕方ないのだ。しかし男の子供はまた起きあがり、みんなに追いつこうと一生懸命だ。
「お母さん!動いたらアカン!
公園で子供が転んで、死んだ子は誰もいない!
疲れたら帰ってくるから、それまで見守るだけで良いのですよ!」

子供は実に群れ遊びの中から知恵が生まれ、自ら生きる力を身につけていくのだ。
この一件があってから、母親の表情がにこやかになってきた。
周りの来園の親たちとも言葉は少ないが、相づちを打つ様子が多くなってきた。
小学校2~3年までは塾など不要だ。
この母親など、群れて遊ぶ大切さを知らぬまま大人になったようだ。
俺は30年間、街頭紙芝居をやってきて、幼少時の塾や勉強なんて、子供の将来に向かって価値はあまり認めたくない。
自力で生きて行くためのコミュニケーション力が生まれるはずがないのだから。
群生の力と価値を、文部省も命がけで研究して、日本民族の将来を明示すべきではないかと、心から願うばかりだ。

第14話 社会人の義務

9月 15th, 2010

今年9月13日まで我が近畿地方では、連続35℃以上の炎暑が終わり、ほっとしているのは、広場に遊び出した子供達の表情である。

炎天下での街頭紙芝居は、6月下旬から3ヶ月も続く灼熱地獄だった。公園が燃えているのだ。熱中症などの心配もあり、一人の子供も公園に集まらない日があった。

朝晩秋風をともない、気温が2~3℃下がっただけなのに、実に敏感に反応するのが子供達である。

30年も続けて出演している北区の鶴満寺公園では、1~2年生女児が元気一杯だ。
緑陰の影の濃い公園の大地の広場に、本能にかき立てられ、家から思い切り飛び出して来た感じだ。

下校の午後4時半頃がピークで、公園一杯に動き廻る姿を見るのは、世直しが生じた位いに実にたのもしいものだ。
藤棚の緑陰で単車の紙芝居舞台をセッティングして、さあ~お菓子売りからスタートだ。

元気良く拍子木を打つと、20人位いの子供達の行列が出来る。6月から熱波の3ヶ月間、一度も公園に来なかったなつかしい1年生の女児の顔も見える。

時々来園していたPTAのお母さん方も5~6人集まり、それぞれ談笑されている。
やがて紙芝居の上演が終わり、子供達は三三五五友達を選び公園の中央へともどって行く。
メインはやはり、ドッチボール遊びだ。一度で多人数で遊べるのが良い。
すべり台中心にたわむれ合う群や、ブランコをするグループ。
広い公園が40人前後の子供達にすみからすみまで活用し生かされている。
公園が久し振りにに頬笑んでいるのだ。

ところが急にドッチボール組を中心に子供の群がくずれ出した。
やがて、パッタリと止まってしまう。
周辺のブランコ組やすべり台組もそわそわし出した。

やがて、2年生の女児二人が
「オッチャン助けて!。あの人ボールを取り上げて、追いかけるんや!!」

見ると精神障害の16才男児がいつの間にか来園していて、1~2年生のドッチボールを奪いだしたのだ。
ボールを渡さないと、その子を追いかける。怖いので逃げ回り、楽しかった群遊びが出来ないのだ。

PTAのお母さん達は見て見ぬ振りをして談笑して、何もアクションを起こさない。
仕方がない。そこで私の出番だ。
藤棚の下から飛び出して行く。

「低学年の遊びを邪魔してはダメだよ。ボールを返してやりなさい!。」
と普通に言っても従わない。取り返そうとしても、力一杯抱きしめていて、放さない。
相手の迷惑が分からないのだ。

そこで大声で怒鳴って、ひるんだすきにボールを取り返して子供達に渡した。
すると、その子を追いかけて行く。小学生は逃げ回る。
言葉で言っても本人は分からないのだ。
又も大声でビックリさせるしかないのだ。

すると反撃して来るので、公園から引きずり出して、彼の家に強制送還させたのである。
すると、見て見ぬ振りをしているPTAのオバチャン達の中から30台のPTAのオバチャンが

「おっちゃん、あの子は障害児なんだから、そっとして置かんといかんねん」
と言って来るのだ。
自分の子供がドッチボールの仲間に居なかった関係もあり、あまりにも身勝手だ。

「おばちゃん!。彼は凶暴性があるんだぜ!。
昨年は棒を持って、1年生を追いかけたこともあるんだぜ!。
怪我させた後では手遅れだ!。
怖い大人がいると感じさせないと、あの児は理解する能力がないんだ!。」
さすがに、PTAのオバチャンもだまってしまった。

家族も大変だろうが、我々社会人も、しては駄目な事は、駄目と感じさせ、指導する義務があるのだ。

学校内のイジメなども学校教師達も見て見ぬ振りをして、殺人事件まで起こしていた事を皆んな忘れては駄目だ。
事件はすべて前兆がある。
我が日本社会では、感じる力が良きにつき、悪しきにつき欠落している。

すべて文部行政の欠陥ではないか?。
勉強勉強で、理性能力が肥大化し、感性力が失われ行くことの現状を、我々は知るべきだ。

こんなPTAさん達のやりとりを見ていた子供達は、群れ遊びをあきらめ、早めに帰宅してしまった。

残された公園が悲しんでいるのが、PTAのおばちゃん達には絶対分からないだろうが、俺には痛感できるのだ。

第13話 TVメディア

9月 11th, 2010

9月3日 午後6時15分から毎日放送 Voiceで「街で子供を育てる、唯一のプロ街頭紙芝居師」と題して、炎天の中、我が街頭紙芝居活動が、10分間放映されました。
プロ街頭紙芝居人生50年で、新聞、雑誌、テレビなど80回以上の取材がありますが、今回の取材には驚きです。

若くて太り気味の大柄のディレクターで緊迫感がないのです。
実に信頼のかけらも感じられなく、理屈っぽく、時間が過ぎる程、怒りさえ色を出す。

取材スタートは、今年の6月27日(日)、街頭紙芝居のプロ養成講座の取材からでした。
2時間のセミナー全部が取材され、「この続きはディレクターの方から連絡するまで待って下さい。」との事でその場は別れたのです。

こちらは、交通事故で通院。また、喉のポリープで発声に苦しみながらの取材協力なので、気になっておりましたが、一ヶ月過ぎてテレビ局に電話しますと、やっと本人と連絡が付きましたが、又も、当方から連絡するまで待っていてくれとのやる気のない返事。

やる気があるんか!!
と質問しますと、
あつますって・・・。
との返事。

それならば、もっと真剣に俺の街頭紙芝居を研究してから来い!と強く言ってから電話を切ったのです。

そして、次の7月29日。岩手県久慈市まで、プロ街頭紙芝居養成講座に出張しました。
8月に入れば、お盆の帰郷も含め、誰でも忙しいもので、取材のことも思い切り忘れて、我が諸事に没頭して行きました。

3週間後の8月23日、突然電話で、明日から取材に入りたいとの連絡です。
すっかり無視して忘れてしまっていたので、面倒くさいとの意識が強く、嫁に返事をさせる始末でした。

次回、顔を合わせた瞬間、突然相手ディレクターに質問です。

君!! 文系出じゃないなぁ!
しぶしぶ、
そうです!。理系です!
やっぱりなぁ。君の取材がにぶいんだ!それにしても理系出身なのだから、計画的にテキパキと取材し~な~!

ると彼は
僕のやり方です!
相手に嫌悪感を覚えさす様な取材手法はタブーだ!

そこで、私が一息吸って、冷静になり、彼をシュミレーションして見ました。
彼は、放送局の身分を保障された本社員です。
1.下請会社員とは異なり、仕事に余裕がある、
2.放送日まで大巾に日付がある。
3.今必要取材ではなく、ちょっとつばをつけて置くだけ。

等々で、要は、不必要になれば、その時流してしまおうとの魂胆が見えて来て、実にエエ加減な倒産会社社員の発想だと分かって来ました。

我が毎日の街頭紙芝居で、子供達にこんな態度を見せると、次回からは来なくなります。
こんな社員の会社はいつかは倒産でしょう。

9月3日に放送になると私に言い出したのは、一週間前でした。
残り日5日位になると、急にあわて出して来ました。

場面を3つも4つも撮りたいと言い出しますが、100年に1度の猛夏の午後3時の炎天中、長時間、炎天の街頭に立つには、体力的にも、気分的にも協力心が湧かないのです。

さて、放送がどう受け止められたのか、大変心配で、私的には不満一杯の映像です。
内幕を知らない一般の皆様皆様方は冷静に観て下されば幸いです。

それにしても、炎天の中で、無謀に撮り過ぎて期待されながら放送されなかった地域の子供や大人達に、

「ごめんなさい」

と局に代わって私が頭を下げるばかりです。

第12話 転送された気になる手紙

8月 25th, 2010

第11話まで書いてきて、すぅ~と蘇って来るのは、「もえか」という今年19歳になる女の子のパソコン日記だ。
実は、昨年4月下旬、東京の(株)フリーズ社の渡我部美香さんからファックスで、我が家に送信されたものだ。

美香さんは、長身だが実に物静かで、女性らしさを内蔵した感性人間で、平成21年2月頃、ザ・カミシバイの俺の本を国会の図書館で読まれ、直ぐに寒風の大阪に来られ、毎日の街頭紙芝居実演現場を見学・取材されました。

そして、感動の秘話 -少女と紙芝居師の命の友情- としてフジTV「奇跡体験!アンビリーバボー」の全国放送につないで下さった恩人なのだ。

人間はほんとうに縁によって、生かされているのだが、「もえか」のパソコン日記も宇宙の大きな縁に依るものでしょう。

この日記も、テレビ放映が終わった直後に感動、直ぐに取りかかった様で、気持ちが伝わって来ます。

紙芝居のおっちゃん  April 23 thu 2009.

今日のアンビリーバボーで特集されていた紙芝居のおっちゃん。
実は小さい頃、凄く凄くお世話になりました。

私が大阪に転校してきて、お友達が出来始め時にね、
どうして苗字が変わったのってよく聞かれたの。

そうゆう時って離婚が恥ずかしいとも思っていなかったから、
「ママが再婚してん」
っていっつも隠しもせずにいたの。

公園でお友達と遊んでいるときに、初めておっちゃんとあった。
おっちゃんは毎週火曜日にきてた。

小学2年生のときなんだけど、その時友達がおっちゃんに、
「もえかちゃんって、お父さん2人もいるんだよ。変だよね」
って笑いながら言ってて、
私は、へんだと言われたことに対して、凄くむかついたの。

だから、その日は何も言わずに帰って、
次の火曜日に紙芝居だけ見に1人で公園に行った。

2回目なのにね、おっちゃん私の名前覚えててくれてて、
「もえかはお父さんが2人おるなんてなぁ、
2人のお父さんに愛されるなんて幸せなことやしな、
ちっとも変な事ちがうねんで~」
そういって、ウサギくれたよ。

ウサギっていうのは、私たちの間での呼び名だったけど、
水あめをせんべいではさんで、ソースで目を書いて耳をつけたものなの。

ねぇおっちゃん、私本当に嬉しかったよ。

それから火曜日の公園に、小学6年生くらいまでずっと行ってた。
中学になって、いろいろあって外に出る事も少なくなっていかなくなったけど、
いつも道で会った時でも「もえか笑ってるか~?」って言ってくれるおっちゃんが、
本当に暖かかったんだよ。

テレビでみてね、幸せそうなおっちゃんを見れて、本当に嬉しかった。

電話で教えてくれた、おねえちゃんに感謝しなきゃ。
紙芝居ってゆうたら、おっちゃんだから。
また型抜きとか、水あめとかテンカス(煎餅)とか食べたいな。

ほんとうになつかしい、10年前の思い出の「もえか」からのメッセージだ。
潜在意識の深い底を、リズミカルにかきわける様にうかび上がって来る「もえか」というなつかしく、温かい呼び名。
俺の体の一部の様だ。

来年は20歳の成人式か?可愛くて芯のしっかりした大人に成長してくれよ!

日本で唯一人、プロ現役街頭紙芝居師として、30年間続けていると、70万人の子供と出会っている計算になるが、男子の悪ガキは叱りつけていた記憶が多い公園だったが、女の子には、意外に優しかったんやなぁ~…。

それにしても、「もえか」が紙芝居を見に来てくれていた火曜日の紙芝居実演公園は川崎公園なのだ。
午後3時30分スタートで、5時30分までいて、5時30分から6時30分まで、1km位離れたところの豊崎東公園に移動していたのだ。

川崎公園は昭和55年に紙芝居をスタートさせた時の最初のホームグランド公園なのだ。
「もえか」も含めて、たくさんの思い出の凝縮した公園なのだ。

25年間も続けていたが、時代の流れで、5年前から子供達が急減し、隣の都島区の公園に移動しているが、年に一回の年末の公園餅つき大会には、午前10時から13時まで街頭紙芝居を実演しています。

まだ10年90歳までは紙芝居を実演するつもりですが、この記事を読んだら、現状の「もえか」を知らせて下さい。待ってるよ!!

TEL,FAX 06-6353-2957まで

第11話 100円玉を持った4才女児

8月 17th, 2010

丸顔で大きな目玉に、真っ黒な瞳、ころんころに太った女の児だ。
いつもこの広場での街頭紙芝居の実演は、午後5時には終了していて、お菓子売りの時間帯となり、7~8人の幼児達が行列をつくっている時だ。

行列をくぐり抜けて、いきなり
「オッチャン!」
と叫ぶと当時に、前から全力で太ももに飛びついて来る。
2~3秒しがみついてから、ぱっと飛び降りると、30m位離れた場所にある幼児用のブランコに向かって突進して行く。
本当にエネルギーの固まりだ。
ブランコで2~3分一人遊びをすると、又パッと飛び降り、50m先にある高学年用のブランコに突進していく。
そのブランコに飛び乗ると、一人で漕ぎ出す。
5分位漕いでいたかと思うと、パッと飛び降り、小枝を拾って、地面に何か書きはじめる。

やがて飽きると、中腰のまま、小枝で20m位線を引いて、紙芝居舞台の俺の方に近づいて来ると、やがて小枝を投げ捨て、全力疾走で再び俺の太ももに飛びついて来る。

太ももを下りると小さな手でズボンのポケットをぎこちない手つきでまさぐり続ける。

「オッチャン!!。ウサギアメ」
と言いながら、サッと右手を突き出す。
50円玉のおつりを渡すと、ズボンのポケットに入れるのに戸惑いながら、ようやく入れると、ニコッと笑って大きな目玉で俺の顔を見上げ続け、お菓子づくりを待つ。

お菓子を手渡すと、又も急発進だ。
公園の中央を目指して駆けて行く。5分も過ぎると食べ終わり、又も飛び込んで来て、残りの50円玉を握りしめて、俺の目の前に突き出す。
お菓子を渡すと、サット身をひるがえして、又も公園の中央に突進して行く。

そんな間、お母さんは、無干渉で公園内では、絶対放任なのだ。
30分位、公園で一人遊びをして、5時30分には、お母さんと帰って行く。
帰りには、わざわざ俺のそばに来て、小さな手を力一杯に振りながら、別れの挨拶をして帰って行く。

もう半年間もこのパターンが続いていて、年齢を超えた友情の糸につながれている。

第10話 ニッカポッカのお兄さん

8月 6th, 2010

大猛暑の前兆、今年4月2日。もう一週間で小学校に入学する6才児達の動きは、実に活発だ。
大きな運動グラウンドの横に細長く、狭く、小さな児童公園があり、4年前から毎週金曜日は午後3時30分から街頭紙芝居実演場所になっているのだ。
いつもの通り、拍子木で街中路地を15分間案内して廻り、お菓子を水アメ中心に売るのですが、すでに幼児達7~8人が一列に並んで順番待ちをしていた。
そんな時、ファーッと幼児達を包み込む様な気配りをして、ニッカーズボンの兄チャンが風の様に靜に並んだ。
こんな雰囲気は、かつて街頭紙芝居を体験している感覚なのだ。
お菓子をつくりながら、チラッと横目で見ると、21~22才位の小柄だがガッチリとした兄チャンだ。

前に並ぶ幼児をかばうような仕草をしながら、買う順番が来て、俺の正面に現れた。
注文のウサギセンベイをつくりながら、

「兄ちゃん、何才や」

と話しかけると、サラッと18才やと言う。

ええ…?思わずお菓子づくりの手を止めて、相手の顔を見直した。
「22~23才だと思ったんだが、君、高校どないしたんや?」

「おもろないから、一年で中退や。」

「それで今、仕事してるんか?」

「大工さんの弟子になってるんや」

小柄ながら、実に堂々として、落ち着いたオーラのある返事だ。
自分の思い全開で一生懸命に仕事に熱中している、理想の青年に久し振り出会った。
勿論、小中学校時代、我が街頭紙芝居を見て成長した青年なのだ。

いつも中学生のヤンチャ者には、(今でも同じだが)どれだけ努力しても、やる気が生まれないなら、学校なんて止めろ。
ダラダラと不登校なんて、卑怯者だ!その代わり、どんな仕事でもして、自分の飯は自分で稼いで生活しろ!

手に負えないヤンチャ中学生達に、街頭で吠えまくってきた俺の言葉を実行したそうだ。

第9話 子供を脱皮する瞬間の小六女児

6月 25th, 2010

街頭紙芝居師にとって、昨年から続く異常気象には、体調を整えるのは大変だ。
今年3月下旬になり寒暖の差が激しく、桜の花のつぼみが戸惑いながら、ようやくふくらみ出した頃の24日から丸々3日間、連続土砂降り暴雨となるなんて、プロ街頭紙芝居師人生30年間で記憶にない。

昔から、「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の3日も降れば良い」とマイナスイメージの歌まで造られているのが、あまりにも豪快な長雨にキッパリと諦める事が出来、大いに有意義な3日間となった。
永らく放棄されていた連絡や、原稿の修正、友人へのお詫びの電話、出演依頼の交渉等、実に重々しい話しを含めて、積極的に時間の消化が出来て、充実した3日間だった。

長雨が晴れて、晴天の4日目の金曜日の午後3時、足取りも軽くいつものように公園に着いた。
この公園は一週間に1回毎週金曜日に30年間も街頭紙芝居を上演し続けている、親子2代に渡る実演公園だ。
ところがその日、晴天の天気予報がはずれ、午前中30分に渡り激烈な土砂降りの雨に見舞われ、おまけに急冷となったので、子供達の集まりは半減だ。
しかし、春休みに入っている為、遠方から親類の幼児達親子が来てくれていたので、幼児達に大声で返事をさせるのに熱中していた。

昨今の子供達は親が公園に入っても手をつないでいるので、自立心が少なく、返事の出来ない子が多く、やっと返事が出来ても小さな声だ。
こんな4~5歳児が多い時には、泣き出さない範囲で叱ったり、誉めたりと、返事をさせる躾の為に忙しく、あっ!と云う間に30分は過ぎる。

こんな日、長身で赤い服を着たジーパン姿の中学生位の女児がすーっと現れた。

「オッチャン!私、覚えてる?!」
と俺の顔を覗き込んだ。

突然なので、一寸ばかり驚いたが、勿論顔は見覚えがあり、まじまじとその女児の顔を見ると、子供の顔を卒業した、一人の大人の顔だ。
中学3年生位の感じだ。

ここ2~3年位は紙芝居を観に来ていないので、なつかしさもあり、思わず
「中学生になったんか?」
と大声で問いかけた?

「ちがう、ちがう、4月から中1やん!。まだ小6やん!」

実に、番茶も出端の新鮮で、女性らしい女児ではないか。
一人前の大人の雰囲気だ。

毎日そばで見ている親には、その成長ぶりは分かっていないと思われる。
昨今の女児の大人化は実に早くなっていると俺は強く感じているのだ。

女性は子供を産み育てる、営巣本能があり、不安定な世界の世相の乱れを感じての防御本能が遺伝子を動かしているのだと、勝手に解釈している。
同じ6年生でも男児に比べて女児の大人化は実に早いのだ。

だから、こんな女児と出会うといきなり大人対象の話題で話しかけて行く。

男児は途中で逃げ出すのが大半だが、女児は真剣に応えてくれるのが多く、この女児も実にさわやかに受け答えを返してくれる。

十年来の友達の様で、お互いによろこんで、将来の夢にまで話題がはずむ。
そんな話しの途中で、急に目が空中を見つめ、独り言の様につぶやいた。

「わたし、紙芝居に来れないと思うの…。」

「えええっ…、なんでや!」

「わたしは外国に行く夢があるねん。その為、外国語を習うには、私立中学校が一番良いと思うねん。」

わざわざ俺を訪ねて来た理由がやっと分かった。
常日頃、紙芝居現場で、子供達と話し合う時、勉強も大事だが、それ以上に自分の夢を持つことが大事だ。

夢は自分で創るもので、誰も与えてくれないぞ!
自分の夢を持つと、夢に向かって必要な勉強をするから勉強が勝手に楽しいものになるんじゃ。

との持論を話し続けて来たので、その報告に来てくれたんだと悟った。

また、5~6年生になって、紙芝居に来れなかった事を申し訳なさそうに埋めようとしている気持ちが、手に取るように分かる。

この女児へのいとおしさと共に、熱い友情が湧き出て来る。
俺は真剣に話しかけて行く。

「そうか、夢を持ったのは良い事だが、公立でもこれから良くなるぞ…。大阪の橋下知事さんも云うてはるで…。」

「うう~ん、なんとなく分かるけど…。」

「それに、月謝が高いんだ!。大丈夫か?…。まだまだ、景気が悪いし、お父さん、どう云うてはんのや?…」

空中に可愛く、目玉を泳がせながら真剣だ。

「おっちゃん。それだけは、何か怖くって、よう尋ねれんのや…。」

その返答に思わず、一人前の分別を持った大人を感じさせる。
本能的に親の苦しみを感じながら、自分の夢との間に悩んでいるのだ。

「怖くても君はもう大人の力を持っているから、現実を良く分かった上で、夢を実現した方が良いと思うよ」

「うううん…。」と少し黙り込んだ後、

「やっぱり、お父さんに聞いて見るわ!」

「そうか、もしも悪い結果が出ても事実なんだから、その事実を良く納得して夢を創れや!」
「苦難はその人が乗り越える力があるから、天が与えるんだから、前向きに自分の感じた方向に進んだら良いんだよ!」

実にさわやかに、

「そうするわ!」

としっかりした返事が返ってきた。
そして一週間後の金曜日に必ず報告に来るからと手を握って帰って行った。

子供を脱皮した瞬間の大人や、さわやかな子供達が俺の人生を浄化し、俺の求める紙芝居道を進化させてくれるのだ。

第8話 プロ紙芝居師の仕事

6月 10th, 2010

ここまで書いて来ますと、特にやる気のある中高年の男女に呼びかけたいのです。

複雑怪奇な21世紀の混沌たる現実が日本を含め全世界を覆って来ています。
今まで久しく続いた学校制度や、勉強方法では乗り越えられないものが発生して居ります。

それら乗り越えるには「考え方ではなく、感じ方」に己の行動を転換させないと、永久にベターな解決は生まれないでしょう。

特に教育の仕事で生計を立てて来られた方々で、今の教育に疑問を感じておられる人も多いと思います。

それなら街頭紙芝居に挑戦しませんか。

街頭紙芝居業は通常午後3時頃から午後7時頃までが勝負時間です。

月曜日から金曜日まで、1日2~3カ所、街頭広場で紙芝居を行いますが、土、日、祭は、1日4~5カ所、やる気次第で実演可能で、1ヶ月15万円位は確保できる自由業です。
雨の日だけが休日で、晴耕雨読の「学問」の時間であり、新作紙芝居づくりの時間です。
そして、実に大切な地域町内会のボランティア活動の時間です。

街頭紙芝居は、己の住まいを中心に活動されることを望みます。
拍子木で街中を廻りながら、出会った大人、子供達に挨拶や語りかけをして行くので、性別や年齢を超えたコミュニケーションが地域社会の人々との間に生まれ、街中が温もって行くのです。

今や、エゴと無責任と依存心で無茶苦茶な日本社会。
かつて貧しい生活の中にも、隣り近所、長屋、路地裏に温もりがあり、それを大切にしていた昭和時代を懐かしんでいるだけでは、社会は成長しません。
そして、子供達も街頭紙芝居を通じて、友づくり、夢づくりと遊びを通して成長して行くのです。

世界で唯一、日本だけに生まれたその歴史は、200年もあり、昭和になって、8万人もの生活をかけたプロ街頭紙芝居師が居られましたが、今では私一人です。
街頭紙芝居復活に参加されませんか?

プロ街頭紙芝居養成講座は年間2回行っています。1月と6月です。
6月は20日(日)、27日(日)の2日間ですが、某テレビ局も取材に来ます。
講座の詳細は、こちらで案内しておりますので、よろしく

第7話 無我夢中

6月 7th, 2010

街頭紙芝居道は、遊びとか趣味的とかでは到底生まれて来ません。
安易な意識では、必ず途中で廃業されるでしょう。

細流は海に入らずとか云いますが、無我夢中になった太いエネルギーの投入が大切です。

子供は一生懸命の動きに反応する生き物ですから、毎日決まった時間に決まった場所へ、昨日の続きの紙芝居を持って、風の様に現れて、風の様に去っていく「素」(ス)のオッチャンを街頭広場の遊びの一部として容認し出します。

タイコや鐘は不要で、紙芝居舞台周辺の旗やのぼり、舞台に貼り付けられたチラシや写真も不要で、演技の為にも飾り立てることは控えねばなりません。
特に、紙芝居実演には、舞台から離れ過ぎない意識が大切です。

毎日子供が多く集まる広場では、実際に街頭広場で紙芝居を演ずる時間はマンガ一巻、続きものの物語が一巻、クイズ一巻、合計三巻。三種類の紙芝居で演ずる時間は15分位です。
しかし、毎日、毎週、紙芝居絵は違うものを用いる事が大切で、同じ広場で三年間は同じ絵を使用しないのが鉄則なので、大量の紙芝居絵が必要です。(私は唯一人街頭紙芝居の絵を多く持って居ります)

街頭紙芝居広場で大半の時間は、紙芝居舞台の横に立ったらすぐ動かず、お菓子を作って渡したり、子供にの話しを聞いてやったりしながら、広場一杯に遊び廻る子供達の動きを見守り続けてやるのです。
動き廻る子供達がケン玉ならば、見守り続けるオッチャンは紙芝居舞台につなられた糸なのです。
やがて、帰りの時間となり、紙芝居舞台の引き出しや拍子木を片付け出すと、無我夢中に遊び廻っている子供達も離れて遊んでいる子供達の中からも気配を感じ、別れの手を振り出します。
両手を上にあげて、大きく応えてやるのです。

実にこんな毎日毎日の繰り返してこそ、その広場広場に群れて来る子供達一人一人の夢づくりの手伝いでもあり、街頭紙芝居道の温床にもなるのです。