第12話 転送された気になる手紙

8月 25th, 2010

第11話まで書いてきて、すぅ~と蘇って来るのは、「もえか」という今年19歳になる女の子のパソコン日記だ。
実は、昨年4月下旬、東京の(株)フリーズ社の渡我部美香さんからファックスで、我が家に送信されたものだ。

美香さんは、長身だが実に物静かで、女性らしさを内蔵した感性人間で、平成21年2月頃、ザ・カミシバイの俺の本を国会の図書館で読まれ、直ぐに寒風の大阪に来られ、毎日の街頭紙芝居実演現場を見学・取材されました。

そして、感動の秘話 -少女と紙芝居師の命の友情- としてフジTV「奇跡体験!アンビリーバボー」の全国放送につないで下さった恩人なのだ。

人間はほんとうに縁によって、生かされているのだが、「もえか」のパソコン日記も宇宙の大きな縁に依るものでしょう。

この日記も、テレビ放映が終わった直後に感動、直ぐに取りかかった様で、気持ちが伝わって来ます。

紙芝居のおっちゃん  April 23 thu 2009.

今日のアンビリーバボーで特集されていた紙芝居のおっちゃん。
実は小さい頃、凄く凄くお世話になりました。

私が大阪に転校してきて、お友達が出来始め時にね、
どうして苗字が変わったのってよく聞かれたの。

そうゆう時って離婚が恥ずかしいとも思っていなかったから、
「ママが再婚してん」
っていっつも隠しもせずにいたの。

公園でお友達と遊んでいるときに、初めておっちゃんとあった。
おっちゃんは毎週火曜日にきてた。

小学2年生のときなんだけど、その時友達がおっちゃんに、
「もえかちゃんって、お父さん2人もいるんだよ。変だよね」
って笑いながら言ってて、
私は、へんだと言われたことに対して、凄くむかついたの。

だから、その日は何も言わずに帰って、
次の火曜日に紙芝居だけ見に1人で公園に行った。

2回目なのにね、おっちゃん私の名前覚えててくれてて、
「もえかはお父さんが2人おるなんてなぁ、
2人のお父さんに愛されるなんて幸せなことやしな、
ちっとも変な事ちがうねんで~」
そういって、ウサギくれたよ。

ウサギっていうのは、私たちの間での呼び名だったけど、
水あめをせんべいではさんで、ソースで目を書いて耳をつけたものなの。

ねぇおっちゃん、私本当に嬉しかったよ。

それから火曜日の公園に、小学6年生くらいまでずっと行ってた。
中学になって、いろいろあって外に出る事も少なくなっていかなくなったけど、
いつも道で会った時でも「もえか笑ってるか~?」って言ってくれるおっちゃんが、
本当に暖かかったんだよ。

テレビでみてね、幸せそうなおっちゃんを見れて、本当に嬉しかった。

電話で教えてくれた、おねえちゃんに感謝しなきゃ。
紙芝居ってゆうたら、おっちゃんだから。
また型抜きとか、水あめとかテンカス(煎餅)とか食べたいな。

ほんとうになつかしい、10年前の思い出の「もえか」からのメッセージだ。
潜在意識の深い底を、リズミカルにかきわける様にうかび上がって来る「もえか」というなつかしく、温かい呼び名。
俺の体の一部の様だ。

来年は20歳の成人式か?可愛くて芯のしっかりした大人に成長してくれよ!

日本で唯一人、プロ現役街頭紙芝居師として、30年間続けていると、70万人の子供と出会っている計算になるが、男子の悪ガキは叱りつけていた記憶が多い公園だったが、女の子には、意外に優しかったんやなぁ~…。

それにしても、「もえか」が紙芝居を見に来てくれていた火曜日の紙芝居実演公園は川崎公園なのだ。
午後3時30分スタートで、5時30分までいて、5時30分から6時30分まで、1km位離れたところの豊崎東公園に移動していたのだ。

川崎公園は昭和55年に紙芝居をスタートさせた時の最初のホームグランド公園なのだ。
「もえか」も含めて、たくさんの思い出の凝縮した公園なのだ。

25年間も続けていたが、時代の流れで、5年前から子供達が急減し、隣の都島区の公園に移動しているが、年に一回の年末の公園餅つき大会には、午前10時から13時まで街頭紙芝居を実演しています。

まだ10年90歳までは紙芝居を実演するつもりですが、この記事を読んだら、現状の「もえか」を知らせて下さい。待ってるよ!!

TEL,FAX 06-6353-2957まで

第11話 100円玉を持った4才女児

8月 17th, 2010

丸顔で大きな目玉に、真っ黒な瞳、ころんころに太った女の児だ。
いつもこの広場での街頭紙芝居の実演は、午後5時には終了していて、お菓子売りの時間帯となり、7~8人の幼児達が行列をつくっている時だ。

行列をくぐり抜けて、いきなり
「オッチャン!」
と叫ぶと当時に、前から全力で太ももに飛びついて来る。
2~3秒しがみついてから、ぱっと飛び降りると、30m位離れた場所にある幼児用のブランコに向かって突進して行く。
本当にエネルギーの固まりだ。
ブランコで2~3分一人遊びをすると、又パッと飛び降り、50m先にある高学年用のブランコに突進していく。
そのブランコに飛び乗ると、一人で漕ぎ出す。
5分位漕いでいたかと思うと、パッと飛び降り、小枝を拾って、地面に何か書きはじめる。

やがて飽きると、中腰のまま、小枝で20m位線を引いて、紙芝居舞台の俺の方に近づいて来ると、やがて小枝を投げ捨て、全力疾走で再び俺の太ももに飛びついて来る。

太ももを下りると小さな手でズボンのポケットをぎこちない手つきでまさぐり続ける。

「オッチャン!!。ウサギアメ」
と言いながら、サッと右手を突き出す。
50円玉のおつりを渡すと、ズボンのポケットに入れるのに戸惑いながら、ようやく入れると、ニコッと笑って大きな目玉で俺の顔を見上げ続け、お菓子づくりを待つ。

お菓子を手渡すと、又も急発進だ。
公園の中央を目指して駆けて行く。5分も過ぎると食べ終わり、又も飛び込んで来て、残りの50円玉を握りしめて、俺の目の前に突き出す。
お菓子を渡すと、サット身をひるがえして、又も公園の中央に突進して行く。

そんな間、お母さんは、無干渉で公園内では、絶対放任なのだ。
30分位、公園で一人遊びをして、5時30分には、お母さんと帰って行く。
帰りには、わざわざ俺のそばに来て、小さな手を力一杯に振りながら、別れの挨拶をして帰って行く。

もう半年間もこのパターンが続いていて、年齢を超えた友情の糸につながれている。

第10話 ニッカポッカのお兄さん

8月 6th, 2010

大猛暑の前兆、今年4月2日。もう一週間で小学校に入学する6才児達の動きは、実に活発だ。
大きな運動グラウンドの横に細長く、狭く、小さな児童公園があり、4年前から毎週金曜日は午後3時30分から街頭紙芝居実演場所になっているのだ。
いつもの通り、拍子木で街中路地を15分間案内して廻り、お菓子を水アメ中心に売るのですが、すでに幼児達7~8人が一列に並んで順番待ちをしていた。
そんな時、ファーッと幼児達を包み込む様な気配りをして、ニッカーズボンの兄チャンが風の様に靜に並んだ。
こんな雰囲気は、かつて街頭紙芝居を体験している感覚なのだ。
お菓子をつくりながら、チラッと横目で見ると、21~22才位の小柄だがガッチリとした兄チャンだ。

前に並ぶ幼児をかばうような仕草をしながら、買う順番が来て、俺の正面に現れた。
注文のウサギセンベイをつくりながら、

「兄ちゃん、何才や」

と話しかけると、サラッと18才やと言う。

ええ…?思わずお菓子づくりの手を止めて、相手の顔を見直した。
「22~23才だと思ったんだが、君、高校どないしたんや?」

「おもろないから、一年で中退や。」

「それで今、仕事してるんか?」

「大工さんの弟子になってるんや」

小柄ながら、実に堂々として、落ち着いたオーラのある返事だ。
自分の思い全開で一生懸命に仕事に熱中している、理想の青年に久し振り出会った。
勿論、小中学校時代、我が街頭紙芝居を見て成長した青年なのだ。

いつも中学生のヤンチャ者には、(今でも同じだが)どれだけ努力しても、やる気が生まれないなら、学校なんて止めろ。
ダラダラと不登校なんて、卑怯者だ!その代わり、どんな仕事でもして、自分の飯は自分で稼いで生活しろ!

手に負えないヤンチャ中学生達に、街頭で吠えまくってきた俺の言葉を実行したそうだ。

第9話 子供を脱皮する瞬間の小六女児

6月 25th, 2010

街頭紙芝居師にとって、昨年から続く異常気象には、体調を整えるのは大変だ。
今年3月下旬になり寒暖の差が激しく、桜の花のつぼみが戸惑いながら、ようやくふくらみ出した頃の24日から丸々3日間、連続土砂降り暴雨となるなんて、プロ街頭紙芝居師人生30年間で記憶にない。

昔から、「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の3日も降れば良い」とマイナスイメージの歌まで造られているのが、あまりにも豪快な長雨にキッパリと諦める事が出来、大いに有意義な3日間となった。
永らく放棄されていた連絡や、原稿の修正、友人へのお詫びの電話、出演依頼の交渉等、実に重々しい話しを含めて、積極的に時間の消化が出来て、充実した3日間だった。

長雨が晴れて、晴天の4日目の金曜日の午後3時、足取りも軽くいつものように公園に着いた。
この公園は一週間に1回毎週金曜日に30年間も街頭紙芝居を上演し続けている、親子2代に渡る実演公園だ。
ところがその日、晴天の天気予報がはずれ、午前中30分に渡り激烈な土砂降りの雨に見舞われ、おまけに急冷となったので、子供達の集まりは半減だ。
しかし、春休みに入っている為、遠方から親類の幼児達親子が来てくれていたので、幼児達に大声で返事をさせるのに熱中していた。

昨今の子供達は親が公園に入っても手をつないでいるので、自立心が少なく、返事の出来ない子が多く、やっと返事が出来ても小さな声だ。
こんな4~5歳児が多い時には、泣き出さない範囲で叱ったり、誉めたりと、返事をさせる躾の為に忙しく、あっ!と云う間に30分は過ぎる。

こんな日、長身で赤い服を着たジーパン姿の中学生位の女児がすーっと現れた。

「オッチャン!私、覚えてる?!」
と俺の顔を覗き込んだ。

突然なので、一寸ばかり驚いたが、勿論顔は見覚えがあり、まじまじとその女児の顔を見ると、子供の顔を卒業した、一人の大人の顔だ。
中学3年生位の感じだ。

ここ2~3年位は紙芝居を観に来ていないので、なつかしさもあり、思わず
「中学生になったんか?」
と大声で問いかけた?

「ちがう、ちがう、4月から中1やん!。まだ小6やん!」

実に、番茶も出端の新鮮で、女性らしい女児ではないか。
一人前の大人の雰囲気だ。

毎日そばで見ている親には、その成長ぶりは分かっていないと思われる。
昨今の女児の大人化は実に早くなっていると俺は強く感じているのだ。

女性は子供を産み育てる、営巣本能があり、不安定な世界の世相の乱れを感じての防御本能が遺伝子を動かしているのだと、勝手に解釈している。
同じ6年生でも男児に比べて女児の大人化は実に早いのだ。

だから、こんな女児と出会うといきなり大人対象の話題で話しかけて行く。

男児は途中で逃げ出すのが大半だが、女児は真剣に応えてくれるのが多く、この女児も実にさわやかに受け答えを返してくれる。

十年来の友達の様で、お互いによろこんで、将来の夢にまで話題がはずむ。
そんな話しの途中で、急に目が空中を見つめ、独り言の様につぶやいた。

「わたし、紙芝居に来れないと思うの…。」

「えええっ…、なんでや!」

「わたしは外国に行く夢があるねん。その為、外国語を習うには、私立中学校が一番良いと思うねん。」

わざわざ俺を訪ねて来た理由がやっと分かった。
常日頃、紙芝居現場で、子供達と話し合う時、勉強も大事だが、それ以上に自分の夢を持つことが大事だ。

夢は自分で創るもので、誰も与えてくれないぞ!
自分の夢を持つと、夢に向かって必要な勉強をするから勉強が勝手に楽しいものになるんじゃ。

との持論を話し続けて来たので、その報告に来てくれたんだと悟った。

また、5~6年生になって、紙芝居に来れなかった事を申し訳なさそうに埋めようとしている気持ちが、手に取るように分かる。

この女児へのいとおしさと共に、熱い友情が湧き出て来る。
俺は真剣に話しかけて行く。

「そうか、夢を持ったのは良い事だが、公立でもこれから良くなるぞ…。大阪の橋下知事さんも云うてはるで…。」

「うう~ん、なんとなく分かるけど…。」

「それに、月謝が高いんだ!。大丈夫か?…。まだまだ、景気が悪いし、お父さん、どう云うてはんのや?…」

空中に可愛く、目玉を泳がせながら真剣だ。

「おっちゃん。それだけは、何か怖くって、よう尋ねれんのや…。」

その返答に思わず、一人前の分別を持った大人を感じさせる。
本能的に親の苦しみを感じながら、自分の夢との間に悩んでいるのだ。

「怖くても君はもう大人の力を持っているから、現実を良く分かった上で、夢を実現した方が良いと思うよ」

「うううん…。」と少し黙り込んだ後、

「やっぱり、お父さんに聞いて見るわ!」

「そうか、もしも悪い結果が出ても事実なんだから、その事実を良く納得して夢を創れや!」
「苦難はその人が乗り越える力があるから、天が与えるんだから、前向きに自分の感じた方向に進んだら良いんだよ!」

実にさわやかに、

「そうするわ!」

としっかりした返事が返ってきた。
そして一週間後の金曜日に必ず報告に来るからと手を握って帰って行った。

子供を脱皮した瞬間の大人や、さわやかな子供達が俺の人生を浄化し、俺の求める紙芝居道を進化させてくれるのだ。

第8話 プロ紙芝居師の仕事

6月 10th, 2010

ここまで書いて来ますと、特にやる気のある中高年の男女に呼びかけたいのです。

複雑怪奇な21世紀の混沌たる現実が日本を含め全世界を覆って来ています。
今まで久しく続いた学校制度や、勉強方法では乗り越えられないものが発生して居ります。

それら乗り越えるには「考え方ではなく、感じ方」に己の行動を転換させないと、永久にベターな解決は生まれないでしょう。

特に教育の仕事で生計を立てて来られた方々で、今の教育に疑問を感じておられる人も多いと思います。

それなら街頭紙芝居に挑戦しませんか。

街頭紙芝居業は通常午後3時頃から午後7時頃までが勝負時間です。

月曜日から金曜日まで、1日2~3カ所、街頭広場で紙芝居を行いますが、土、日、祭は、1日4~5カ所、やる気次第で実演可能で、1ヶ月15万円位は確保できる自由業です。
雨の日だけが休日で、晴耕雨読の「学問」の時間であり、新作紙芝居づくりの時間です。
そして、実に大切な地域町内会のボランティア活動の時間です。

街頭紙芝居は、己の住まいを中心に活動されることを望みます。
拍子木で街中を廻りながら、出会った大人、子供達に挨拶や語りかけをして行くので、性別や年齢を超えたコミュニケーションが地域社会の人々との間に生まれ、街中が温もって行くのです。

今や、エゴと無責任と依存心で無茶苦茶な日本社会。
かつて貧しい生活の中にも、隣り近所、長屋、路地裏に温もりがあり、それを大切にしていた昭和時代を懐かしんでいるだけでは、社会は成長しません。
そして、子供達も街頭紙芝居を通じて、友づくり、夢づくりと遊びを通して成長して行くのです。

世界で唯一、日本だけに生まれたその歴史は、200年もあり、昭和になって、8万人もの生活をかけたプロ街頭紙芝居師が居られましたが、今では私一人です。
街頭紙芝居復活に参加されませんか?

プロ街頭紙芝居養成講座は年間2回行っています。1月と6月です。
6月は20日(日)、27日(日)の2日間ですが、某テレビ局も取材に来ます。
講座の詳細は、こちらで案内しておりますので、よろしく

第7話 無我夢中

6月 7th, 2010

街頭紙芝居道は、遊びとか趣味的とかでは到底生まれて来ません。
安易な意識では、必ず途中で廃業されるでしょう。

細流は海に入らずとか云いますが、無我夢中になった太いエネルギーの投入が大切です。

子供は一生懸命の動きに反応する生き物ですから、毎日決まった時間に決まった場所へ、昨日の続きの紙芝居を持って、風の様に現れて、風の様に去っていく「素」(ス)のオッチャンを街頭広場の遊びの一部として容認し出します。

タイコや鐘は不要で、紙芝居舞台周辺の旗やのぼり、舞台に貼り付けられたチラシや写真も不要で、演技の為にも飾り立てることは控えねばなりません。
特に、紙芝居実演には、舞台から離れ過ぎない意識が大切です。

毎日子供が多く集まる広場では、実際に街頭広場で紙芝居を演ずる時間はマンガ一巻、続きものの物語が一巻、クイズ一巻、合計三巻。三種類の紙芝居で演ずる時間は15分位です。
しかし、毎日、毎週、紙芝居絵は違うものを用いる事が大切で、同じ広場で三年間は同じ絵を使用しないのが鉄則なので、大量の紙芝居絵が必要です。(私は唯一人街頭紙芝居の絵を多く持って居ります)

街頭紙芝居広場で大半の時間は、紙芝居舞台の横に立ったらすぐ動かず、お菓子を作って渡したり、子供にの話しを聞いてやったりしながら、広場一杯に遊び廻る子供達の動きを見守り続けてやるのです。
動き廻る子供達がケン玉ならば、見守り続けるオッチャンは紙芝居舞台につなられた糸なのです。
やがて、帰りの時間となり、紙芝居舞台の引き出しや拍子木を片付け出すと、無我夢中に遊び廻っている子供達も離れて遊んでいる子供達の中からも気配を感じ、別れの手を振り出します。
両手を上にあげて、大きく応えてやるのです。

実にこんな毎日毎日の繰り返してこそ、その広場広場に群れて来る子供達一人一人の夢づくりの手伝いでもあり、街頭紙芝居道の温床にもなるのです。

プロ紙芝居師養成講座

5月 26th, 2010

NPO法人紙芝居文化協会として、プロ紙芝居師養成講座を予定しております。
日   時
2010 年6月20日(日)及び6月27日(日) 14時00分から17時00分
場   所
老人憩の家2F (長柄八幡裏) 大阪市北区長柄中3-4-2

お申し込みやその他のことは、http://kamisibai.net/のトップページに記載しておりますので興味のある方は是非ご参加下さい。

第5話 街頭紙芝居道とは

5月 12th, 2010

それでは街頭紙芝居道とは何でしょうか。
(小難しい処に入って来ましたがお付き合い頂けるでしょうか)
先ず「道」(ドウ)とはミチ(道)なのですねぇ。道(ミチ)とは地球に人類が発生する前から獣達が生きる為に餌を求めて行き交う内に山野の草木が踏まれ ながら曲がりくねり自然と形づくられてきたものでしょう。
その獣達よりも大変遅れて出現した新参者の我々人類はその獣道利用しながら人間の生活を進化させ機能化させながら現在の高度な道へと成長させて来たと思わ れます。
人間には道とは生きる為の最大の武器で道具だったのですねぇ。
生きるとは働くことです。
ならば道(ドウ)は働(ドウ)に通じるものでそれは毎日毎日道を利用して生活の為に働くことですねぇ。
実に街頭紙芝居の道も生きる為に生涯をかけ露地から露地を拍子木を鳴らしながら案内し働きながら子供達を集めに行くのです。街頭紙芝居は拍子木を打つ時か らもう開演なのです。それも下校時間や子供達の塾へ行くく時間帯。天候の具合など五感を全開させ毎回毎回二~三十分は歩き廻ります。
そして一日に二~三ヶ所、雨天以外は毎日の繰り返しで一年間最低でも六百回以上すべて青空・広場で三十年間子供達に紙芝居を演じ続けて来ました。
軽く計算しても、三十年間で二万回は演じて来たので親子二代にまたがって街頭紙芝居交流している子供達が多く居られます。

紙芝居文化は世界中で日本だけに発生した二百年の歴史を持った文化で、特に街頭紙芝居はその源流です。
今現在、現役で毎日街頭で演じているのは世界中で私一人と言う事ですねぇ。
どんな未熟者でも一つの事を一万回続ければ願いがかない天才にもなれるとの話を聞いた事がありますが、拍子木一対で三十年間細々ながら生計を立て、子供達 に生かしてもらって来た人生ですが、そんな流れの中で一種の「型」が生まれているのです。 そんな時、ようやく、ゆっくりと今は一日の満足感とよろこびがにじみ出て来るのです。
これこそ三十年間続けて来たパターンですが、その為にも子供達には違和感を感じさせない服装、観てもらいやすい舞台の設計、青空の下でやるので力強い街頭 紙芝居画法のある絵を観せるなどの努力が必要です。(それが街頭紙芝居画法の研究につながる) 私には生涯をかけると云うことは命をかけると云う事で趣味や、習い事とは大違いです。
生涯をかけて初めて来る心の持ち方、感じ方、道具の用い方、子供達とも接し方、演じ方等を総合して街頭紙芝居道と世に発表させて頂きましよう。私は紙芝居道にようやくたどりついたのです。

第4話 復活

4月 20th, 2010

第三話から丸二年間中断していましたが、復活させます。
実は、自費出版「ザ・カミシバイ」、副題 紙芝居を始めるよ!の本が、大阪梅田の紀伊国屋書店が取り扱って販売されることになりました。
昨年この本が東京の国会図書館に入庫していまして、北野たけし氏に近いTV番組リサーチの若い女性記者が感動され、その縁でフジTV、アンビリバボー「奇 跡の体験」で全国放送されたのがきっかけでした。
人生の出来事はすべて想定外で生まれ来るもので、一喜一憂は世の常ですが、坦々として対して行きたいと思って居ります。
さて、プロ街頭紙芝居の心とは一体何んでしょうか。
街頭紙芝居の実演の体験のない人も含めて一言で分かってもらうのは大変です。しかし、あえて一言で言わせてもらうならば、大人、子供に関係なく「瞬時に相 手と同化する」感性力だと思って居ります。頭脳ではなく体の反応ではないでしょうか。かりに言葉で分かったと言っても観念の世界の理解で実感には至りませ んでしょう。私は街頭紙芝居のプロを目標とする「同行者」に必ず言うのは、毎日二~三ヶ所一年間六百回以上続けても相当長い年月の経験が必要だと悟して居 ります。
学歴に関係なく何方デモ街頭紙芝居道を究める為の実に分かり易い指標だと確信して居ります。

第3話 子ども達のパワー

3月 26th, 2008

まず、飛び込み実演をしたのは大阪北区の淀川南100m、まわりの三面は住 宅で、東側は新築マンションに囲まれたこじんまりとした街中の空き地の様な小公園でした。
この小公園は熱気に満ちあふれているのです。西側半分に小学生3~4年生の20人位が思いっ切り軟式の野球に取り組んでいます。
その横側におそれる気もなく幼稚園児と思われる、1~2年生の男女が鉄棒をしたり、ママごとをしたり、砂遊びに夢中にになっているのです 。昨今の様に大人が子供には付いていませんでした。
この小公園は、公園の隅から隅まで100%子供達の思い思いの遊びの広場と生かされているのです。遊びがそれぞれに住み分けられていて、一つ一つを見れ ば、雑然としていますが、上空から見ると、整然として、統一されて廻っているはずです。
言葉では表現できない雰囲気と現象です。こんな広場に飛び込めば、現代の子供の不登校やウツ病なんて一秒間で消えうせるでしょう。
この公園の片隅に紙芝居用自転車を乗り入れたら大変です。アッと思う間もなく、野球少年20人に取り囲まれ、すごまれてしまうのです。
こんな場合の対応が、実は今後の街頭紙芝居人生の成功か不成功かを決定すると同時に、子供達のエネルギーを理解する最高のチャンスなのです。
詳細については、今年の桜の花咲く季節の前後に、出版予定の「紙芝居が始まるよ」の本に書く予定です。

さて、第1話に約束していました、「紙芝居師」の呼び名の件ですが、平成11年5月31日、毎日新聞夕刊取材の若い記者とのやりとりの中から生まれたもの なのです。
実は、家庭の主婦が気まぐれに幼稚園などでやっていたり、病院などで手書きで簡単な絵を画いて、患者さんに見せていたり、己はプロだと言いながら、1ヶ月 に1~2回、集会所などでやっていたり、それが、すべて紙芝居の3文字で片付けられているので、日頃から憂うつでした。
毎日2~3ヶ所、生活をかけて1ヶ月千人以上の子供達を集めて必死に演じているプロ紙芝居の私はいったいなんだと悩みました。
記者さんとの会話の時に、プロ紙芝居と、気まぐれなボランティア又はアマチュア紙芝居の区別の意味で「紙芝 居師」と表現してほしいと言ったことから、日本で初めて紙芝居師の印刷文字が新聞紙上に表れたのです。すると、すごいですねぇ。一週間 もたたずに、各新聞社の記事が、あの気まぐれなオバチャン紙芝居もすべて紙芝居師に表現されて来るのです。私の思いが完全にくつがえされてしまいました。
くやしい、くやしい、と思いながらも反面、私の名付けが世間が待ち望んでいたんだと思うと、何か世の中に良い事をさせていただいた様で、陽気が体に満ちて 来るのです。
いたちごっこですが、そこで又生まれました。その生まれた言葉が、「プロ紙芝居師」の名 前です。
さすが、世間様はかしこいです。
その後、プロを名乗る紙芝居師は誰もいないでしょう。毎日街頭で年間、最低でも600回以上26年間やり続けて来ていますので、言葉遊び印刷記事では出来 ないのです。
プロを名乗ると世間の感覚もピシッとしまるものです。すると今度はプロ紙芝居師の心を知りたがるのです。
その心とは……? 果たして何であろうか? 次回のお楽しみ…。